世界金融危機_(2007年-2010年)
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2000年にインターネット・バブルが崩壊し、IT・情報技術関連企業の上場が多いNASDAQ市場は暴落して、2001年第2四半期からアメリカのGDPが3四半期連続のマイナス成長となった[15]。失業率も増加を続けてアメリカの財政赤字は拡大した。FRBは2000年末から利下げを繰り返し、ジョージ・W・ブッシュ政権は大規模な所得減税を行った[注釈 2]。この結果、アメリカ金融史上で最も低金利の時代となったが、当時のFRB議長だったアラン・グリーンスパンは低金利政策が誤りだったと後に認めている[注釈 3][22][17]

エンロンが2001年に粉飾決算で破綻したのちに金融機関への規制強化が検討されたが、実施されなかった[注釈 4]。規制が強化されなかったため、後述のシャドー・バンキングが急拡大した[24]
シャドー・バンキング・システム

世界金融危機の大きな要因となった金融ビジネスは、非銀行金融仲介機関であるシャドー・バンキング・システムであった[25]。シャドー・バンクに含まれるのは、マネー・マーケット・ファンド(MMF)、特別目的事業体(SPV)、資産担保コマーシャルペーパー(英語版)(ABCP)、投資銀行等のレポ取引ヘッジファンド、証券会社、証券化商品発行体、そして個人向けのファイナンス・カンパニーなどである[注釈 5]。シャドー・バンクの資産額は危機以前の10年間に特に増加した[注釈 6][27]。監督や規制を受ける銀行に属さないないために、リスクの高い取引が拡大した[25]。シャドー・バンクの中でもMMFは、MBSの発行や証券化に関わる重要な投資家として機関投資家が資金を供給した[注釈 7][27]

BRICSを中心とした新興国の経済発展を背景に、エネルギー需要、食料需要などの資源需要が高まり、原油価格が上昇した。産油国の利益は欧米の機関投資家へ流れ、機関投資家の資金運用がアメリカに集中した。このとき、先の低金利政策と、シャドー・バンキング・システムを通じた証券化を促進する規制緩和が相まって、サブプライムローンを中心とした信用拡張が行われた。ABCP市場は6500億ドルから1兆ドル市場に成長した[2][24]
サブプライムローンアメリカのサブプライムローンは2004年から2006年にかけて大幅に拡大した。

アメリカでは、エンロンと類似の事件を防ぐために、GSEのフレディマックファニーメイがバランスシートを縮小した。その影響で住宅ローンに民間業者が参入し、民間業者が導入したサブプライムローンは住宅価格の上昇に後押しされて2003年以降に急拡大をした[注釈 8][29]

サブプライムローンでは、契約内容を理解できていない借手に対して、返済能力を無視した貸付が横行した。これらは略奪的貸付(英語版)やニンジャ・ローン(英語版)とも呼ばれて問題となった[注釈 9]。しかし、住宅価格が上昇する局面では警鐘はかき消された[13]

2004年6月30日の連邦公開市場委員会(FOMC)から政策金利は引き上げに転じた。2004年-2006年にかけてアメリカでは住宅ブームが生じ、低利の2段階変額ローンにより募集された不動産担保ローンが大量に組成された[注釈 10]。少なからぬ利用者が住宅価格の上昇の恩恵を受けた。この住宅ローンの個別債権は、欧米の主要銀行がSPVなどを利用してMBSに証券化した[2]。MBSは高利回りの金融商品として世界各国に販売された。格付け機関ムーディーズスタンダード&プアーズ(S&P)はMBSにトリプルAの格付けをして信用を与えたが、これらの格付け機関は選出基準が不透明だった[注釈 11]。さらに、格付け機関は商品リスクを知りながら高い格付けを与えていたことが、のちに議会の調査で明らかになっている[注釈 12][32]


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