世界金融危機_(2007年-)
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^ リーマンの抱えていた問題は次のようなものであった。(1) MBSやCDOの不良債権化による自己資本の毀損、(2) 90万を超えるCDS契約によるカウンター・パーティ・リスクの増大、(3) CP債務78億ドルとレポ債務1970億ドル(2008年3月末)。
^ リーマン破綻翌日の9月16日に第63回の国連総会が開催され、アメリカへの批判が集中した。ブラジルのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領は、利己主義と投機的行動を批判した。フィリピンのグロリア・アロヨ大統領は金融危機をマンハッタンに止まらない津波にたとえた。アルゼンチンのクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル大統領は、それまで金融危機の原因とされてきた周縁国だけでなく世界最大の経済大国から発生した点を指摘した[59]
^ 他方、AIGは高格付けCDOのデフォルト率を低く見積もっていたので、CDSのネットでの売りポジションをヘッジしていなかった。AIGの売ったCDSは多くの投資銀行に保有されていたので、リーマンと異なり公的資金が投入された[60]
^ リーマン保有のCDSは、リーマンの清算価格が8.625%に決まったので、CDSの売り手に91.375%を保証させた[60]
^ 2008年から2010年にかけてのG20各国の刺激策の金額については、トゥーズ (2020)を参照[64]
^ ターム・オークション・ファシリティ(英語版)(TAF)、プライマリー・ディーラー向け貸出ファシリティ(英語版)(PDCF)などへの支援の他に、FRBみずからがSPVを設立して貸出業務を行うという方策も用いた[68]
^ 6中央銀行はFRBのほか日本銀行、ECB、BOE、カナダ銀行スイス国立銀行(SNB)だった。
^ 供給を行った中央銀行はFRB、日銀、ECB、BOE、SNB、カナダ銀行、デンマーク国立銀行ノルウェー中央銀行オーストラリア準備銀行スウェーデン国立銀行ブラジル中央銀行韓国銀行メキシコ銀行ニュージーランド準備銀行シンガポール金融管理局だった[7]
^ 最後の貸し手とは、通常は国内に対して中央銀行が求められる役割である。市中銀行の取り付け騒ぎの防止策として、中央銀行が最後の貸し手となって市中銀行に貸し出しをしたり、銀行預金に保険をかける[70]
^ 危機の最中に公開すれば、流動性支援が必要な銀行が明らかになるため、FRBは法的手段も使って秘密を守ろうとした[71]
^ 認めた原因はEUの要請にあったとされる。EU企業は国際財務報告基準(IFRS)を採用していたため、アメリカ企業に対して不利にならないようにEUが要請した[74]
^ 共和党からは、この法案は社会主義でありアメリカにふさわしくないという批判もあった[76]
^ 欧州の金融機関の危機やカリフォルニア州の州財政の危機などが市場で蒸し返されたとされる。ニューヨークロンドンなどの主要市場は大きく株価が下落し、モスクワ証券取引所イスタンブール証券取引所インドネシア証券取引所など新興国の株式市場でも急落や閉鎖が起きた。
^ 当初のTARPは不良資産の買い取りが目的だったが、数千億ドル相当の不良資産に値付けをするという困難があり、目的は資本注入へと変わっていった[80]
^ 銀行は公的資本注入を受け入れる代わりに、企業当座預金と2009年夏までの新規債券に対して、同年の満期となる債券の125%を上限にFDICの保証を得た。配分はニューヨーク連銀のティモシー・ガイトナーによって決められた[81]
^ 2009年6月1日にGMは連邦倒産法第11章の適用を申請し、負債総額は1,728億ドル(約16兆4100億円)という製造業として史上最大で、GMはアメリカ政府が60%、カナダ政府が12%の株式を保有した[82]
^ GMのリチャード・ワゴナー会長、フォードのアラン・ムラーリーCEO、クライスラーのロバート・ナルデリ(英語版)会長[83]
^ 財務長官はニューヨーク連銀のティモシー・ガイトナー、アメリカ合衆国国家経済会議の委員長はローレンス・サマーズアメリカ合衆国行政管理予算局の局長はハミルトン・プロジェクト(英語版)でオバマと交流があったピーター・リチャード・オルザグ、大統領経済諮問委員会の委員長は世界恐慌史の研究者であるクリスティーナ・ローマーだった[84]
^ バーセリズムは2008年大統領選挙の頃からオバマへの攻撃として行われていた[85]
^ オバマが上院議員だったイリノイ州ラストベルトに含まれており、オバマは地域経済の悪化に懸念を抱いていた。また、支持を高めた2004年の演説は分断の解消を訴えた内容だった[87][88]
^ 政権内では、ローレンス・サマーズ、ピーター・オルザグ、ティモシー・ガイトナーらはローマーが示した金額に反対した[90]
^ 反対運動の資金は、保守系の資産家であるコーク兄弟(チャールズ・コークデイビッド・コーク)らが提供し、2008年の共和党副大統領候補だったサラ・ペイリンもティーパーティーに参加した[85]
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