世界一周
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そこで示された条件は、距離 36,787.559 km (北回帰線の距離)以上で赤道を通り、出発地点と完全に同じ場所に戻ってくることである。対蹠地を通る必要はない。

認定機関ギネス世界記録とExplorerswebによると、Jason Lewisは2007年10月6日に世界で初めて人力での世界一周に成功した[5][6]。これはen:Expedition 360という企画で、13年におよぶ旅程であった。ただし、ギネスは彼の行程は幾つかの点で定めた基準を満たしていないとしていた(彼はある岩礁をモーターボートで渡ったとされる。彼は後にこの地点を人力で渡り直した)[7]

2012年、トルコ人冒険家のen:Erden Erucは世界で初めての単独での人力世界一周に成功した。Erucはこぎ舟、シーカヤック、徒歩、そして自転車によって2007年7月10日から2012年7月12日の期間で達成した[8]。Erdenは赤道を二度通過し、12箇所の対蹠地を通った。総移動距離は66,299キロメートル (41,196 mi)で、中断期間を除いて1,026日の旅であった[9][10]

ナショナルジオグラフィック協会は、Colin Angusを最初の人力世界一周成功者としている[11]。これは2004年7月に成し遂げられた。しかしながら、彼の行程は赤道を通過しておらず、対蹠地にも到達していないため、ギネスやExplorerswebによるAdventureStatsが定める基準を満たしていない[12][13][14]

大洋は飛行機で渡り、陸路のみを歩行または自転車で世界一周した人物は多くいる[15]。この記録を最初に達成したのはen:David Kunstであると記録されている。彼は1970年6月20日から1974年10月10日の期間で、徒歩で陸路世界一周した。走行による世界一周は、1997年-2003年のRobert Garsideによるものが認定されている。ただし、これらは海洋は空路で越えているため、海洋を除いた移動距離はギネスのガイドラインを下回る。
観光旅行としての世界一周

1816年にアメリカのブラック・ボール・ライン社がニューヨークとイギリスリバプール間の大西洋航路の定期船運航を開始し[16]、その後、パナマ経由のニューヨーク・サンフランシスコ航路を運航していたアメリカのパシフィック・メール社が、1867年1月1日から、サンフランシスコ・横浜香港をつなぐ定期船の太平洋航路を開設した[17]。これにより、イギリスなどヨーロッパから東回りで東アジアへ進出していた航路と太平洋航路が横浜・香港で合体することになり、定期蒸気船航路を乗り継ぐことによって誰でも地球一周旅行が可能になった[17]1869年スエズ運河アメリカ大陸横断鉄道が完成すると、世界一周旅行はさらに容易になった[17]。これにより、商業的な世界一周旅行が始まり、長く西洋にベールを閉ざしていた日本が開国したばかりであったこともあり、19世紀末には欧米の冒険家や裕福な観光客の新しい旅先として日本が人気となった[18]

トーマス・クック1872年に世界初の世界一周団体旅行を敢行した[18]。9月26日に8人の団体客でリバプールから船でニューヨークへ行き、鉄道でサンフランシスコへ、船で横浜へ、東京周辺を観光したのち、船で大阪長崎上海シンガポールマドラスカルカッタまで行き、鉄道旅行ののちボンベイから船で、紅海、スエズ運河、地中海を通って、鉄道でリバプールへ戻った[18]。222日間の旅行だった[18]。この間にジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』が出版されたこともあり、世界一周旅行熱が加速し、ネリー・ブライエリザベス・ビスランド、ジョージ・フランシス・トレイン、ジョージ・グリフィスら、時間を競う世界一周旅行者も現れるようになった[18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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