世界ボクシング評議会
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翌9月には、メキシコシティのCorona Auditoriumで行われた記者会見で、WBC会長が実際に贈呈されるベルトを披露した[7]
WBCシルバー王座創設

2010年3月、ホセ・スライマン会長が暫定王座に替わるタイトルとして、11月にメキシコで開催予定のWBC総会で「WBCシルバー王座」(WBC Silver Championship)の創設を発表することを公表。なお、王者には、通常の世界王座のベルトをベースに、バックル部が金色ではなく銀色のシルバーベルトが贈呈される。また、暫定王者とは異なり、シルバー王者のWBCランクは維持される。
WBCフランチャイズ王座創設

2019年6月、「WBCフランチャイズ王座」(WBC Franchise Championship)の創設を発表。
世襲されたWBC会長の座

2014年1月16日、1975年以来38年間WBC会長を務めていたホセ・スライマンがカリフォルニア大学ロサンゼルス校内にあるロナルド・レーガンUCLAメディカルセンターで82歳で死去し[8][9]、前任者の四男でWBC事務局長のマウリシオ・スライマンは自身のWBC会長就任を否定したが[10]、同年2月11日にメキシコシティで行われた会長選挙で満票(26票)を集め、新会長に選出された[11]。奇しくもホセ・スライマンと同じ44歳でのWBC会長選出を果たしたマウリシオ・スライマンだが、結果的にはWBC会長の座がスライマン父子で世襲された形となった。
世界タイトルマッチ2000試合達成

2018年3月17日にWBC世界スーパーライト級王座決定戦がWBCが認定した世界タイトルマッチの2000試合目として行われ[12][13]ホセ・カルロス・ラミレスが12回3-0(120-108、117-111、115-113)の判定勝ちを収めマディソン・スクエア・ガーデン・シアターで行われたアミール・イマムとの一戦を制した[14][15]
JBCとの関係

1963年2月の設立と同時に、日本ボクシングコミッション(JBC)は、東洋ボクシング連盟(OBF)を通じてWBCに加盟しており[16][1][2]、良好な関係を保っていた。しかし1966年8月27日のWBC総会で、独自のルールと、初のWBC世界ランキングを発表して、WBAから完全に分裂したことから[3][4][5]、1966年9月27日にJBCは、WBC世界ランキングを認めないと発表した[17][18]。よって今後はWBC単独認定の世界戦を認めないとした。(実際に関光徳花形進ファイティング原田が海外でWBC単独認定王座に挑戦した際、たとえ王座を奪取してもJBCでは王者と認めないという達しが出ていた。)
しかし、ジョニー・ファメション vs.原田戦が、挑戦者の原田がダウンを連続して奪い、優勢に見えた試合だったにもかかわらず、判定負けとされた(※しかも、最初は引き分け宣告をリング上で行いながら、リングを降りるとすぐに、チャンピオンの判定勝ち防衛に変更するという不可解なもの。)こと、原田の(欧米人以外では初の)3階級制覇のかかった試合であったことから、当時の世論が沸騰、JBCはWBCを認めて原田の国内での再戦を認めろ、との意見が強まり、世論と業界の事情に押される形で、JBCもファメションvs.原田の再戦の日本での開催を認めざるをえなくなった。(当初JBCはWBC単独認定王者を認めない立場から当時のWBA王者の西城正三へのターゲット変更を模索したが、西城は日本テレビ専属・原田はフジテレビ専属のため交渉がまとまらなかった。)
結果、JBCは、なしくずし的にWBC世界ランキングを認めることになった。
この非認定期間を挟んで、1963年2月14日から1966年9月26日までの間と、ファメション対原田の第2戦が開催された1970年1月6日以降から2013年3月31日までの間を合わせて、日本はWBAとWBCと世界王座認定団体を2団体承認するという形が通算46年間以上続いた。
分立団体としてJBCに承認されて初めてWBC王座を獲得したのは、1970年4月5日にWBC世界ジュニアライト級王座に就いた沼田義明である。

2011年には東北地方太平洋沖地震による震災被害からの日本復興支援として、マイク・タイソンオスカー・デ・ラ・ホーヤ、マニー・パッキャオなど過去から当時に至るまでの世界王者十数名からサイン入りグローブやトランクスを集め、これに地震による電力不安の影響で東京から神戸へ会場が変更された4月8日開催のトリプル世界戦に出場の6選手から提供されたグッズを併せてJBCに託した。それらは日本の主なボクシング会場に展示の後、JBCが慈善オークションにかけることとなり[19]、同トリプル世界戦の調印式冒頭では、会長の息子で立会人を務める副会長のマウリシオ・スライマンが、この興行は日本を勇気づけるだろうと挨拶した後[20]、日本語で「WBCは世界のボクシング界の人々とともに、日本と一緒に戦います。ガンバレ、ニッポン」と激励メッセージを送った[21]。同年6月のJBC事務局長更迭に伴う混乱のため、この慈善オークションは大幅に遅れ[22]、2012年1月24日から3月11日までの7週間、Yahoo!オークションにて開催された[23][24][* 1]
WBCルール

WBC認定試合におけるルールの主な特徴を以下に挙げる。

フリーノックダウン制(レフェリーが「試合続行不能」と判断しない限り、1ラウンド中何度ダウンしても試合続行)。

ノックダウンした選手はゴングに救われない(ダウンのカウント中に3分を経過してもカウント続行。10カウント以内に立ち上がって試合続行に応じられない場合はノックアウトが成立する)。なお、以前は最終回のみゴングに救われていた。

バッティングによる負傷があった場合、偶然の場合は1点、故意の場合は2点、負傷していない方から減点される(アメリカでは、どの州でも現在[
いつ?]まで適用されていない)。

偶然のバッティングによる負傷で試合続行不可能となった場合、4回終了までは引き分け。5回以降は試合をストップしたラウンドを含めたそれまでの採点(負傷判定)で勝敗を決定。

2006年より「オープン・スコアリング・システム(公開採点制度)」を採用。4回と8回(女子は7回)を終了した時点でそれまでの採点を公表する。

どちらかに10点満点をつけるテン・ポイント・マスト・システム(10点法)。

各ラウンドの判定は極力差を付ける日本で言うところの「ラウンド・マスト・システム」。ただしWBAほど厳格ではない。

インターバルでの電解質飲料(いわゆるスポーツドリンク)の使用はスーパーバイザーとコミッションの許可が下りれば認められる[28]

タイトル

WBCは世界王座の他にも、アメリカ大陸王座、インターコンチネンタル王座、ユース王座、ムンドヒスパノ王座、全アフリカ世界王座、女子世界王座(WBC FEMALE)、ムエタイ王座(WBC MUAY THAI)等の王座を認定している。

男子世界王座:世界選手権、王座決定戦(王座が空位の場合)、もしくは王座統一戦(暫定王者との対戦)の勝者。チャンピオンベルトが与えられる。王座獲得から一定期間防衛戦を行わなかった場合、暫定王者(次項)が別途認定される。防衛戦に応じることが出来る状態になれば暫定王者との王座決定戦が義務付けられるが、次項に示すような問題を内包している。

暫定世界王座:王者が怪我等の理由で期限内に防衛戦が不可能になった際に用いられる王座。世界ランキング上位の選手同士で争われる、暫定王座決定戦の勝者が認定される。暫定王座に就いた選手は世界王座と同等の権威を持ち、防衛戦も可能だが、世界王者が復帰した際には統一戦を行わなければならない。ただし、この暫定王座の基準も曖昧で、世界王者が防衛戦の期限内で防衛戦を行わない時に、王者に何の告知もなく勝手に暫定王座を認めたり、同じクラスの正王者と暫定王者が統一戦を行わずにそれぞれ防衛戦をしたり、と問題も多い。なお、この暫定王座はWBA、IBF、WBOにも存在していて、同じような問題が発生している。WBCでは後述するシルバー王座の制定により暫定王座はより厳格なものになった。

名誉王座:各階級の現役王者あるいは過去の王者のうち、この競技において特別な威信、信望、才能を持ち、不朽の財産を残した者を名誉王者 (Emeritus Champion) として認定する事が出来、理事会の3分の2以上の賛成票により可決する。


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