世界ウルルン滞在記
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酒井美紀(2代目:1997年4月13日?1999年3月28日

1999年10月10日、2006年4月2日の2時間スペシャルではリポーター

2008年9月14日の「さよなら大感謝祭スペシャル!」(真の最終回)ではスタジオゲスト役


相田翔子(3代目:1999年4月11日?2006年4月2日)

1996年1月21日1998年11月1日2007年8月12日(世界ウルルン滞在記"ルネサンス")の放送分ではリポーター役

2006年10月1日、2007年1月7日の2時間スペシャルおよび2007年4月1日の最終回スペシャルではパネラー役

2008年9月14日の「さよなら大感謝祭スペシャル!」ではスタジオゲスト役


木佐彩子(4代目:2006年4月23日?2007年4月1日)

フジテレビ退社後初となる他系列局番組レギュラー。


パネリスト

レギュラー

石坂浩二

準レギュラー

三宅裕司

黛まどか

ここまでは初期のレギュラーだった。


清水圭

2006年4月2日までレギュラー。同年5月7日から準レギュラー


山瀬まみ

西田ひかる

YOU

はな

小池栄子

MEGUMI

ピーコ

沢村一樹

木村祐一

泉谷しげる

牧瀬里穂

森口博子

ほか
ナレーター

下條アトム

冨永みーな

2001年徳光が心臓発作で休養し、3週清水圭が代行として務め、1週だけ三宅裕司が代行として務めたことがある。また、番組開始当初から現在まで出演していたのは司会の徳光と解答者の石坂のみ(両者とも病気療養期間中を除く)である。

番組冒頭の下條による「?が?で?と出会った」という特徴的なナレーションは高い認知度を誇った。また、もうひとりのナレーターの冨永はクイズ出題の際のナレーションを担当する。冨永が産休の際には元秋田放送アナウンサーの村野日南が代行を務めた。

解答者は番組開始の1995年4月9日から2006年3月26日の放送分まで4人だった(2時間スペシャルの場合は8人4組)が、2006年4月23日放送分以降からは5人になった。
クイズのルール・賞品

ドキュメンタリーを中心としたクイズ番組であり、レギュラー解答者(パネリスト)2人を含む4人(2006年4月23日放送分以降からはレギュラー解答者1人を含む5人)に2問が出題された。1問目は1ポイント、2問目は2ポイントで、得点が多かった解答者にトップ賞(取材地からのおみやげ)が贈られた。但し2ポイント以上獲得しない(第2問に不正解)とトップ賞をもらうことができず、その場合観客にトップ賞が贈られた。さらに全問正解した解答者が1人でも出れば、視聴者の中から1組2名に
ジャルパックで行く海外旅行が贈られた(それ以外はこの日のトップ賞の賞品)。

徳光がクイズの際、解答者(パネリスト)のパネルを開いて答えを確認する時、かつて自身も司会を務めたTBSクイズダービー』と同様に「せーのドン!」と発する。また、シンギングタイム前に巨人(司会の徳光が大の巨人ファンであること)絡みネタや競馬(特にJRA主催の中央競馬)絡みネタのヒントをたまに出していた[注 1]

補足・備考

放送開始当初はパネリスト(解答者)4人(うちゲスト1人)である。3問クイズが出題され、得点表示がなく、徳光の独断と偏見でトップ賞を決めた。その後ルールが変更され、2000年4月から2問に減りルールも現在のものに至った。そのためか、最近は2問とも正解してトップ賞が出るというケースが目立った。

放送初期?2004年まではしばしば
プロ野球中継(TBS系列局制作の横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)中日ドラゴンズ阪神タイガース広島東洋カープ主催(特にTBSは横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)主催試合、当番組の製作局であるMBSは阪神タイガース主催試合[注 2]、CBCは中日ドラゴンズ主催試合、RCCは広島東洋カープ主催試合の放映権を所持)の巨人戦中継)の延長オプションで最大22:30?23:24まで放送されていた。

1995年4月9日放送分は第13回統一地方選挙の前半選挙開票特番を編成した一部の系列局は22:30?23:24まで放送し、他の系列局は22:00?22:54まで放送した(他の系列局は終了後に前半選挙開票特番を編成)。

1995年10月22日放送分は日本シリーズオリックスブルーウェーブヤクルトスワローズ戦中継の延長オプションで23:30?翌0:24に放送し、唯一月曜にまたがって放送された。

2000年放送の『明石家マンション物語』(フジテレビ)のコーナーである「クレーマークレーマー」にて「徳光さんがあんなに泣くのならティッシュ置くべき」や「相田翔子ちゃんに感情がない」と文句を言った際、明石家さんまが苦情の電話をかける(フリの)シーンであの時間帯で番組をやりたいがために「ウルルン(日曜10時枠から)どけ!」と言っていた。

この番組ではホームステイ先に辿り着くまでに3・4日かかることも珍しくないが、1度だけアフリカのとある国でホームステイ先に辿り着けなかったことがあった。これは首都の空港に到着直後そこでクーデターに巻き込まれ、ホテルに缶詰にされたため。

当番組は2001年に「グッドデザイン賞 審査委員長特別賞/メディアデザイン賞」を受賞しており、テレビ番組としては初の受賞作品となっている。

2003年3月30日放送分は番組冒頭で突然ブラックアウトになり、その後「恐れ入りますがこのまましばらくお待ち下さい」というお詫び画面が表示され、数分後に砂嵐画面になりブラックアウトし、再びお詫び画面が表示されるという放送事故が発生した。

2003年12月14日放送分はアメリカ軍によるイラクフセイン元大統領拘束関連ニュースを緊急編成した為、22:10?23:04まで放送した。

ナレーターの下條は当初、2?3回の収録分だけで終わる予定だった。しかし好評なことから契約が延長され、最終的に12年間続いたという(『MBSドクホン』のインタビューより)。なお、下條は一度だけパネラー席に座ったことがある。

原千晶の「タイの舟そばに出会った」の回においてステイ先の婦人が原の健闘を称える際に「一週間よく頑張った」との字幕を出し、ナレーションも「1週間ステイした」と放送した。しかし放送終了後、在日タイ人からステイ先の婦人が発した言葉は「3日間よく頑張った」であるとの指摘を受けてヤラセ疑惑が生じた(番組スタッフの釈明は「翻訳ミス」)。

過去にたった一度だけ放送がお蔵入りになりかけた回があった。その回は照英がホームステイしたのだが、撮影を終え帰りの空港で待っていたところ、撮影済みのテープのほとんどが入ったカバンを盗まれてしまい放送が出来なかった。この盗まれた瞬間をたまたま監視カメラに収められていた為、その映像を国で放送したところ、盗まれた荷物全てが戻り、後日放送される事となった。

ラーメンの鬼」で知られるラーメン職人の佐野実が出演した時、日本に支店を出そうと考えて来日していた、元滞在人の中国のラーメン職人に「このチャーシューは癖があるので日本では受けない」と強く指摘し、中国側も負けじと「そんなことはない。この味は日本人にも絶対に受けるはずだ」と激昂して詰め寄ったため、番組が一瞬凍りついたことがある。二人はカメラ映りから外されたが、収録中になおも激論を重ねたらしく、中国職人が再び登場した際には「話し合いは済みましたか?」と徳光から話題を振られ「ああ、済んだ」と満足そうな笑みを浮かべていた。

2016年12月から有料会員サイト「MBS動画イズム444」で番組配信が始まった。毎月10本程度追加されている。

エンディング

毎回、旅の思い出のシーンが蘇る回想部分から、最後に協賛航空会社である日航ジャンボ機が映し出される映像(当初、日航ジャンボ機の映像はなく、エンディングの後、すぐに次週の予告編となっていた)は、その名の通り、締めに相応しいエンディングだった。その後、放送開始から満10年を過ぎ、エンディングテーマも数十回変わって放送された。

OA年月タイトルアーティスト
1995年4月?6月何度も叫んだ大江千里
1995年7月?9月ふたりのステージ財津和夫
1995年10月?12月未来飛行徳永英明
1996年1月?3月愛をつかもうよGAO
1996年4月?6月すべてここにあるよEX-IT
1996年7月?9月WILL YOU MARRY ME?高橋由美子
1996年9月?12月Brand-new winter
?ヴァージン・スノウを探しに行こう?TWO of US


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