世界まるごとHOWマッチ
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^ 稀に、巨泉が私服姿で登場していたことがあった。
^ 極稀なケースとして、ハイパーインフレが加速し過ぎると、現地通貨を使用せずに米ドルで換算させることもあった
^ 因みに、1983年4月7日の東京外国為替市場の円相場終値は、1ドル=237円65銭である。
^ 同日の番組内で使用された換算レート1ドル=140円による計算。この日の東京外国為替市場の円相場終値1ドル=135円95銭で換算すると95京1,650兆円。ちなみに、1987年のアメリカ合衆国の歳出は約1兆40億ドルのため、単純比較で国家予算6730年分に相当する(参照:HISTORICAL TABLE BUDGET OF THE UNITED STATES GOVERNMENT (PDF) )。なおこの問題で、石坂、たけしは共に2,800万ドル(番組内レートで39億2,000万円・先述の東京外為市場終値で38億660万円)、ケント・ギルバートが1,200万ドル(番組内レートで16億8,000万円・東京外為市場終値で16億3,140万円)と解答しており、井森の解答金額は他解答者よりも2億5,000万倍以上高い。
^ ホールインワン賞が出たときにデビル返却があったときは、巨泉自ら取ってアシスタントに渡すこともあった。
^ 復刻版の「世界バリバリ☆バリュー」は、当日分の結果でトップ賞を決めた。
^ 旅行対象はニアピン賞の旅行も含め基本的に一人である。
^ 神津はこのルールによって世界一周旅行の権利を失った。
^ ロストボール10本達成時に字幕スーパーに「ロストボール・ついに10本達成!」が出る。
^ 他の毎日放送制作・TBS系列全国ネットの番組にも、宛先がこれに該当するものがあったが、同じ毎日放送制作・TBS系列全国ネットで放送されていた『世界ウルルン滞在記』についてはスタジオ観覧は東京、プレゼントは大阪宛だった。
^ ただし巨泉はこの時「私が生きていたら…」と付け加えており、実際にはリップサービスだったとも思われる。
^ 巨泉の81歳の誕生日である。
^ 偶然にも、レギュラー版解答者であった石坂が出演していた『世界ウルルン滞在記』と同じ時間帯である。
^ タイトルコールは「小倉智昭の日本まるごとHOWマッチ」
^ レギュラー版解答者であったたけしは裏番組の『ビートたけしのスポーツ大将2015?ナインティナインも参戦SP?』(テレビ朝日、以下『スポーツ大将』と表記)に出演、司会を務めた巨泉は『スポーツ大将』レギュラー放送当時の秘蔵VTRを紹介するコーナーで登場していたため出演しなかった。ちなみに『スポーツ大将』も当番組よりほぼ1ヶ月前の1990年2月27日に終了しており、「25年振りの復活」とされていた。
^ 土曜日17時からスポンサー(地元スポンサー)も差し替えられた上で放送されていた。そのため、オープニングの提供クレジット及びエンディングは差し替えられ、次週の解答者(予告)も放送されなかった。
^ a b c24時間テレビ』放送日には放送時間変更があった。
^ 放送時間は日曜日14時→同時→木曜日22時、『木曜座』以前からこの枠を放送していた。また、本番組の放映権がテレビユー山形へ移行後は『木曜劇場』のネットを開始したものの、本番組と異なり7日遅れでかつローカルスポンサーに差し替えての放送だった(1993年3月まで)。ちなみに、山形テレビは、1993年4月にテレビ朝日系列ネットチェンジした。
^ 厳密には、サービス放送期間中の1983年12月1日から。
^ 1983年3月までTBS系とフジテレビ系番組を交互ネットしていた福島テレビは、同年4月にFNNに加盟した関係でフジテレビ系フルネット化に向けての番組編成の都合上から非ネット。ちなみに、『木曜座』までは同時ネット。
^ 2015年3月22日放送の『日本まるごとHOWマッチ』はチューリップテレビで放送。
^ 1984年4月1日より日曜日10時から10時54分まで放送[11]秋田放送とは異なり、提供クレジットのみ地元スポンサーと差し替え(エンディング部分はそのまま)。日本テレビ系のスポーツ情報番組『スポーツジョッキー 中畑クンと徳光クン』(中畑清徳光和夫司会)ネットのため、最終回直前の1990年3月25日で打ち切り[12]
^ 1984年4月4日のネット開始から1985年3月27日までは水曜22時から[13]、1985年4月1日から1990年4月2日最終回までは月曜日22時から[14]放送。こちらも提供クレジットはローカル差し替え。
^ 2015年3月22日放送の『日本まるごとHOWマッチ』はあいテレビで放送。
^ 土曜日22時から放送。秋田放送、北日本放送同様、スポンサーの差し替えが行われていた。遅れ放送のため、視聴者プレゼントの締め切りを翌週月曜日の消印有効にするといった、南海放送独自の計らいもあった。
^ 1984年10月から1986年9月の2年間は土曜日17時から時差ネット。TBS系列単独加盟ながら日本テレビの『木曜スペシャル』を同時ネットしていたため。なおスポンサーは差し替えずにそのままネットしていた。

出典^ 毎日放送40年史編纂室『毎日放送の40年 資料編』毎日放送、1991年、p.270
^ 「〈折り込み〉週間番組表と番組ガイド」『財界ふくしま』第12巻第11号、行政問題研究所、1983年11月10日、91頁、NDLJP:2832618/48。 
^ 「FTV」『婦人生活』第40巻第6号、婦人生活社、1986年6月1日、93頁、NDLJP:2324862/93。 
^ 『ヒット商品「88」 1989年版』講談社、1988年10月20日、153 - 161頁。NDLJP:11984310/79。 
^http://www.videor.co.jp/data/ratedata/junre/06quiz.htm
^ 毎日放送40年史編纂室『毎日放送の40年 資料編』毎日放送、1991年、p.272
^ a b c d企業と広告』第9巻第6号、チャネル、1983年8月1日、21頁、NDLJP:2853005/13。 
^企業と広告』第10巻第11号、チャネル、1984年11月1日、11頁、NDLJP:2853020/8。
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