世界の一体化
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日本


オセアニア

東南アジア

インド

オスマン帝国

アフリカ

ラテンアメリカ

バルカン諸国


フランスとの植民地抗争に勝利したイギリスが覇権を確立、世界の一体化がほぼ完成。

蒸気船の普及により、工業製品の大量輸送や地球規模での移民が可能となる。19世紀にはドイツアメリカ合衆国が「中核」に加わった。

次のものが加わる。

綿花

綿織物



石炭

ゴム

1917年から1967年
アメリカ合衆国の覇権)

アメリカ

西欧

日本

ソヴィエト連邦


韓国

シンガポール

(東ヨーロッパ諸国)


オセアニア

東南アジア

インド

中東

アフリカ

ラテンアメリカ

カナダ

(中国)


2つの世界大戦を経てアメリカ合衆国がドイツとの覇権争いに勝利し覇権を確立、世界システムが地球全体を覆った。

ロシア革命以降の社会主義国家群が「反システムの運動」を展開。ベトナム戦争によりアメリカ覇権が衰退し、多極化の時代となった。

次のものが加わる。

石油

自動車

ウォーラーステインによれば、近代世界システム[14]は中核、半周縁、周縁の3部分から構成され、それ自体の内的運動によって不断に膨張しつつ変化する史的システムである。そのシステムは資本主義的な世界経済の形態をとり、この世界経済は長期の16世紀にその起源を持つ。そして、貢納による再分配の様式(これを、ブローデルは「経済上のアンシャン・レジーム」と呼ぶ)から、全く異質な社会システムへの移行があったとしている[15]。また、資本主義的な世界経済は、単一の分業によって結ばれておりながら、政治的には多中心であり、文化的にも多様である。その点が、16世紀以前の世界帝国とは異なるとした。

史的システムとしての世界経済の変動には循環運動と長期変動がある。前者は資本主義生産の無政府性と有効需要の限界から生まれ、ほぼ4、50年の周期で繰り返される拡張と好況、停滞と不況の2局面の交替に代表される。対する後者は利潤増大のための生産諸要素(財貨・土地・労働力)の不断の商品化、生産における機械化、世界経済の地域的広がり、さらには社会運動、労働運動ないし民族運動のかたちをとった反体制運動としてあらわれる。この二者の相互作用のうえに世界経済は発生・成長・衰退・死滅の経過をたどるであろうとした。

また、ウォーラーステインは世界経済における循環運動に呼応して、その上部構造である国際システムに、勢力均衡と覇権(ヘゲモニー)国家の出現の周期的交替が起こるとした。勢力均衡を支えるのは列強、すなわち中核と半周縁の諸国民国家であり、各国の支配階級が世界経済で自己の利益を追求するための手段であるが、それは国際システムの構成要素にすぎず、必ずしも自律的な存在ではない。諸国家間の勢力均衡は、中核のどれか一国が世界経済を一元的に支配することを妨げる。

世界システム内において、ある中核の国家が他の中核に属する諸国家を圧倒している場合、その国家を覇権国家と呼ぶ。ウォーラーステインによれば、表に示したように、覇権はオランダ海上帝国イギリス帝国、アメリカ合衆国の順で推移したとされる。ウォーラーステインは、オランダの覇権を1625年から1775年にかけてとしており、「オランダ以外のいかなる国も、これほど集中した、凝集性のある、統合された農=工業生産複合体をつくりあげることができなかった」と評している[15]。しかし、ウォーラーステインに師事した山下範久は、覇権と呼びうるか疑問を呈している[16]。これらに共通するのは、その国が覇権のピーク時に生産、流通(貿易)、金融の各分野であいついで優位に立ち、軍事・政治そして文化の各領域でその支配と価値を他国に強要できることである。しかしその覇権は失われ、再び列強が対峙する勢力均衡へと道をゆずる。なお、ウォーラーステインは、世界が資本主義と社会主義に分断されていると理解されてきた冷戦期にあっても、世界経済の一体性を強調した。彼は、ソヴィエト連邦が近代世界システムのなかでアメリカ合衆国と政治的には敵対することで、むしろ機能的には世界経済を安定化させていると論じている。

このように整理されたウォーラーステインの考え方は彼の学問上の師であるブローデルに影響して、その『物質文明・経済・資本主義』において、「世界=経済」というかたちでより広い視野のもと多角的な視覚から考察されている[17]。さらに国際政治学にも影響をあたえ、ジョージ・モデルスキーの覇権循環論(長波理論)に共感をもってむかえられるなど多方面にわたる影響をおよぼしている。彼は、

フリードリッヒ・リストによる、未開状態→牧畜状態→農業状態→農工状態→農工商状態

カール・ビュッヒャー(英語版)による、家内経済→都市経済→国民経済

マルクス主義(弁証法的唯物史観)による、原始共産制→古代奴隷制封建社会→資本主義社会→共産主義社会

ウォルト・ロストウによる、伝統的社会→離陸の準備段階→離陸(テイク・オフ=産業革命)→成熟への前進段階→大量消費社会

など、一連の経済発展段階説を乗り越え、世界を一体として把握する、巨視的で新しい歴史学の道を開拓した。
学校教育における用語の登場

1998年(平成10年)7月の教育課程審議会答申では高等学校地理歴史科「世界史A」の改善事項として、次のように指摘されている[18]。近現代を中心に、諸文明の特質と世界の一体化の過程を地理的条件と我が国の歴史の展開との関連に留意しながら理解し、現代の諸課題を歴史的な観点から追究することを一層重視する。

このような指摘をうけて、1999年(平成11年)3月29日、「世界史A」の新しい高等学校学習指導要領が告示された。[19]。以下に3つの大単元とそれぞれの単元目標を示す(中項目以下の内容については省略する)。
諸地域世界と交流圏風土,民族,宗教などに着目させながら,ユーラシアを中心に形成された諸地域世界の特質を把握させる。また,諸地域相互の交流に触れ,世界の一体化につながる交流圏の成立に気付かせる。

一体化する世界16世紀以降の世界商業の進展と産業革命後の資本主義の確立を中心に,世界の一体化の過程を理解させる。その際,ヨーロッパの動向と日本などアジア諸国の対応に着目させる。

現代の世界と日本地球規模で一体化した現代世界の特質と展開過程を理解させ,人類の課題について考察させる。その際,世界の動向と日本とのかかわりに着目させる。

この改正によって初めて「世界の一体化」の用語が登場しており、そればかりではなく「世界史A」は世界の一体化の観点を基軸とする科目として再構成されたといってよい改訂内容となっている。なお、同指導要領は、平成14年5月、15年4月、15年12月にそれぞれ一部改正がなされている[20]

「世界史B」では、「諸地域世界の結合」「世界の支配・従属関係を伴う一体化」の観点からの内容が盛りこまれた[19]。それを受けて、現在、高等学校の世界史教科書では各社とも世界の一体化の観点を重視しており、特に世界史Aでは重要語句として扱っていて、世界史Bでも重要語句として載せている教科書がある。世界史A教科書の執筆にたずさわった近藤和彦(東京大学)の「グローバル化の世界史」[21]では、世界史教科書の組み立てと歴史の書き直しに関する感想、グローバリズム時代の世界史にまつわる所論と展望を展開している。

大学教育においても世界の一体化の観点は近年きわめて重視されており、講義シラバスなどに当該用語を用いる例が増えている。田中ひかる(大阪教育大学)の講義シラバス「近代世界システムの歴史と現在」[22]などが該当する。なお、学術的論文においても中澤勝三(弘前大学)の論文「近代世界システム論の射程― 重商主義の位置づけをめぐって ―」[23]のように、世界の一体化の用例は一般的なものになりつつある。
世界の一体化前史としてのモンゴル帝国

「世界史A」新学習指導要領では、前近代を「諸地域世界と交流圏」として扱うこととするのは、上述のとおりであるが、そのなかで諸地域相互の交流を促進し、世界の一体化につながるような交流圏の成立に寄与したのがモンゴル帝国であった。モンゴル帝国の版図の変遷 テムジンがチンギス・カンを名乗った1206年から1294年のモンゴル帝国(赤)の領域に続き、4つの領域国家のゆるやかな連邦体制に移行した帝国の版図を示した(1294年時点)。ジョチ・ウルス(黄)、チャガタイ・ウルス(濃緑)、イルハン朝(緑)、大元ウルス(紫)である。

すなわち、13世紀ユーラシア大陸ではモンゴル人が、東アジアから東ヨーロッパ、イスラーム世界を覆う空前の大帝国を建設し、それにより各地で勢力の交替が起こったのである。モンゴルによる征服は人びとに恐怖の記憶を刻んだが、その一方で「タタールの平和(パクス・タタリカ)」という言葉に表現されるように、モンゴル人によってユーラシアと北アフリカの諸地域が政治的、経済的にたがいに結びつけられ、国際色豊かな統治体制とそれに支えられた遠隔地商業など東西交流が、その宗教的寛容も相まって空前の繁栄ぶりを呈した。


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