世田谷区
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2005年(平成17年)の夜間人口は820,320人、昼間人口は736,040人であり、昼夜比は0.897倍と昼間に約1割減少するベッドタウン型の日内変動がある[注釈 3][9]。全国と比べた年齢別の人口比率では、大学生辺りの年齢から40歳代半ばまでの比率が大きいが、未成年、および、40歳代半ばから80歳くらいまでの比率が小さい。


世田谷区と全国の年齢別人口分布(2005年)世田谷区の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 世田谷区
■緑色 ― 日本全国■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
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現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。

世田谷区(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より



将来展望

世田谷区が行った将来人口推計(2021年)によると、今後も年0.4%程度での増加傾向が継続すると推計された。区の人口は、10年後の2031年には948,302人となる予測とされている[10]

将来推計人口(世田谷区)[11]結果2031年2036年2042年
基本推計948,302人966,579人984,550人
高位推計953,776人976,576人1,000,503人
低位推計937,529人947,823人955,823人

外国人を含む
隣接自治体・行政区
東京都


杉並区

渋谷区

目黒区

大田区

三鷹市

調布市

狛江市

神奈川県


川崎市多摩区高津区中原区

防災
危険性の評価

都内の各町丁に対して地震に対する総合危険度を東京都都市整備局が2022年に公表した「地震に関する地域危険度測定調査(第9回)[12]」では、世田谷区内の277の町丁のうち125町丁が、相対的に都内で最も安全とされる「レベル1」になった。最も危険とされる「レベル5」の町丁は区内にはなかった。

暗渠を含む区内の河川に関して世田谷区は、洪水内水氾濫のハザードマップを公表している[13]
過去の災害

2019年10月の台風19号では、区内南部の多摩川沿岸の広い範囲で浸水の被害が生じ、孤立した一部の住民が自衛隊などに救助された[14][15][16]
歴史
近世以前

縄文時代当時の貝塚が多数存在する。

古墳時代以降、何らかの旧王朝・豪族の存在を疑われつつも、宅地開発が優先され歴史研究はほとんど行われていない。野毛大塚古墳、稲荷塚古墳、第六天塚古墳、玉川台古墳群、浅間神社古墳、亀山古墳、等々力三号横穴、砧大塚古墳などが公園となっている。他に世田谷区役所・国士舘大学の地下や砧中学校周辺、公園、宅地、商業地の地下など、数多の遺跡がある。古来より武蔵国にあり、当区区域は武蔵国多磨郡荏原郡に属していた。

近世

江戸時代末期に両郡内に42の村々が存在し、御府内(江戸の市域・城下町)には含まれていない。
近・現代

明治・大正時代も旧東京市15区に含まれない地域であった。昭和時代の世界恐慌後に荏原郡および北多摩郡から旧東京市に編入され、「東京市世田谷区」となった。

1907年 現区域内初の鉄道として玉川電気鉄道(後の東急玉川線、廃止済)が開通する。

1922年 世田谷警察署が開設。

1936年 1940年東京オリンピック大会招致が決定し、メインスタジアム建設が駒沢に計画される(1938年に開催返上)。

1946年5月12日 米よこせ区民大会開催。大会後、皇居へのデモ行進が行なわれた[17]

1952年 世田谷区教育委員会ができる。

1963年 環状七号線が開通する。

1964年 1964年東京オリンピック大会が開催され、区内の駒沢オリンピック公園馬事公苑で競技が行われる。

1968年 区の鳥・花・木が決定される。

1981年 区歌緑と風と翼」を制定。

1995年 防災行政無線が整備される。

沿革

1871年 廃藩置県により現世田谷区の範囲の内、中部・東部の村々は東京府荏原郡に、西部の村々は神奈川県北多摩郡に属す。
北多摩郡については三多摩および多摩郡を参照

1889年 市町村制施行に伴い現世田谷区の範囲の内、荏原郡の村々は合併して世田ヶ谷村(後の世田ヶ谷町)・駒沢村(後の駒沢町)・松沢村・玉川村に、北多摩郡の村々は合併して砧村・千歳村になる。

1893年 三多摩(北多摩郡砧村・千歳村を含む)が神奈川県より東京府に編入される。

1932年 現世田谷区の範囲の内、荏原郡の町村は東京市に編入されて「東京市世田谷区」になる。発足当時の人口は、松澤村世田ヶ谷町駒澤町玉川村133,249人を基準とする。

1936年 北多摩郡砧村・千歳村が東京市世田谷区に編入される[注釈 4]

1943年 東京都制により7月1日より東京都世田谷区。

1947年 特別区としての世田谷区が従前と同一の区域をもって誕生。新制中学校ができる。

世田谷区内で発生した主な事件・社会問題など

中華青年会館殺人事件 - 1955年8月17日発生。中国人留学生寮「中華青年会館」で発生した強盗殺人・放火事件。被疑者は冤罪となった。

高島忠夫長男殺害事件 - 1964年8月24日発生。高島忠夫寿美花代夫妻宅で夫妻の生後5か月の長男が住み込みの家政婦に殺害された事件。

津川雅彦長女誘拐事件 - 1974年8月15日発生。津川雅彦朝丘雪路夫妻宅で夫妻の生後5か月の長女が誘拐された事件。

三井アルミ社長宅爆破事件 - 1977年6月30日発生。新左翼活動家・加藤三郎による三井アルミ社長宅の爆破事件。


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