世俗主義という語はイギリスの作家ジョージ・ホリオークによって1846年に最初に使われた。しかしこの概念は歴史を通して存在し、自由思想の基盤を作った。特に宗教と哲学の分離の概念を含む初期の世俗主義はイブン=ルシュドと彼のアウェロス主義学派まで遡る。ホリオークは社会秩序の宗教からの分離という視点を表すために世俗主義の語を作った。ホリオークは不可知論者として、「世俗主義はキリスト教からの独立であって、それへの反対ではない」と述べた。
世俗的な知識とは明白に現実世界に基づく知識で、現実の生活の指針となり、現実の幸福を増すためのものである。そしてそれは現実世界の経験に基づいて検証することができる。「社会と文化の世俗主義研究財団」のバリー・コスミンは実際の世俗主義をハードなものとソフトなものに区別する。コスミンによれば、ハードな世俗主義は宗教を理性的にも経験的にも正当化できず認識論的に誤りだと見なす。ソフトな世俗主義は絶対の真実へ達することは不可能であり、したがって科学と宗教の議論にとって懐疑主義と寛容さはそれらよりも優越した価値を持たなければならないと主張する。
最も顕著な形の世俗主義は、宗教に関し「迷信とドグマ(教義)を強調し、理性や科学的探求を軽視し、人類の進歩を阻害するもの」と批判する。 政治的には世俗主義とは、通常は政策の宗教からの独立、いわゆる政教分離原則を指す。これは政府と国教の結びつきを分解し、教典に基づく法律を市民法に置き換え、宗教に基づく差別を社会から取り除くことである。宗教的マイノリティの権利を守ることは民主主義の促進に繋がると考えられている。 ヨーロッパでは世俗主義は啓蒙主義時代に大きな役割を果たした。アメリカ合衆国の「教会と国家の分離の原則」やフランスにおけるライシテは世俗主義と結びついている。 世俗国家は中世後期にイスラム世界にも存在した。世俗主義者は政策決定者が宗教的な理由よりも非宗教的な理由で政策を決定することを好む。この点で、例えばアメリカのセンター・フォー・インクワイリーのような世俗主義団体は、人工妊娠中絶や同性婚、性教育やES細胞研究のような政策決定に関心を寄せる。 ほとんどの主要な宗教は、民主主義社会と世俗主義の優越性を受け入れているが、それでも(例えばコンコルダートやロビー活動、宗教教育などを通して)政策への影響力を維持しようと努めたり、何らかの(例えば財政的)特権を維持しようと試みている。ほとんどのアメリカのキリスト教徒も国家世俗主義を支持しており、またその概念が聖書の教え(例えば「カエサルの物はカエサルに、神の物は神に与えよ」)に合致すると認めることができる。 しかし一部のキリスト教原理主義者は、特にアメリカでは、世俗主義に反対する。彼らはしばしば今日採用されているのはラディカルな世俗主義イデオロギーであり、「キリスト教徒の権利」と国家の安全に対する脅威だと見なしている。 現代で最も深刻な宗教原理主義は、キリスト教原理主義とイスラム原理主義である。同時に世俗主義の重要な潮流の一部は、権利の平等が重要であると見なす宗教的マイノリティに由来した。フランス、インド、韓国、トルコ、アメリカなどは、憲法で国教の廃止や世俗主義であることが明記されている「憲法世俗主義」である。 宗教学において、現代の西洋社会は世俗的であると一般に認められている。これはおおむね完全な宗教の自由と、宗教が究極的には政策決定に指示しないという一般的な確信による。それでも、宗教的伝統に基づく道徳観は各国で重要なままである。例えば世俗社会の本質を描写したD.L.マンビーによれば、世俗社会は次のように特徴付けられる。
国家世俗主義
世俗社会
世俗社会は宇宙の性質と人間の役割についていかなるものであれ唯一の視点があるという立場を拒否する。
それは均質的ではなく多元的である。
それは寛容である。
それは個人の意思決定の範囲を拡張する。
あらゆる社会はいくつかの目的を共有するものだが、そのために問題解決の手法とルールの枠組みが構成員の間で共有され、同意されていなければならないことを意味する。世俗社会では可能な限りそれが最小限に抑制される。
現象の調査を通して、問題解決は理性的に図られる。