深夜時代から人気を獲得し続けた結果、1990年4月19日に木曜日20時台のゴールデンタイムに昇格。ゴールデンタイムの第1回の放送は14.3%(ビデオリサーチ、関東地区調べ。特記なき場合は以下同様)と当時としてはまずまずの結果であったが、第2回では11.6%と前回と比べて大きく下回ってしまう。だが、番組の人気は上がっていき第1シリーズの最終回直前には視聴率21.3%を記録した。
翌年、第2シリーズがスタートしたが番組の人気が衰えることはなく、初回1991年冬の特別編の2時間スペシャルでは20.9%を記録し、その後も20%前後の高視聴率を獲得し続けて、時間帯のトップに躍り出た。湾岸戦争開戦日の1991年1月17日には、多くの局が報道特番を流す中で、フジテレビは20時で特番を打ち切り通常番組として本作を放送し、当時番組史上最高の24.3%を記録した[8]。1991年3月21日の「真夜中」「鏡」「ど忘れ」の回では番組歴代最高視聴率の25.7%を記録。なお次点では1991年6月6日放送の「シンデレラ」「夢」「秘密の花園」の回で視聴率25.2%であるが、その際、関西地区では29%を記録した。
第2シリーズが終了し、1992年に第3シリーズがスタートしたがその頃から20%台を超すことは少なくなり、視聴率も徐々に低下していった。それでも1992年9月時点で平均視聴率15%以上は維持していたもののレギュラー番組でやっていくのは困難となりレギュラー放送を終了。番組改編期のみの放送となった。
特番シリーズになり再び番組の人気は上っていき、時には20%を超す回も少なくはなかった。2016年現在でも同世帯1位または2位をキープし、人気長寿番組の地位を確立している。 当番組のような、オムニバステレビドラマ物のドラマにはチーフディレクター(総監督)なるものは存在せず、その作品の監督独自の世界観を有する。だが参加する監督[注釈 30]の中には複数回メガホンをとる者がおり、「世にも-」が代表作の一つとなっている監督もいる。ここでは歴代の監督たちの動向を振り返る。
レギュラー時代
初回視聴率:14.3%(1990年4月19日放送「恐怖の手触り」「噂のマキオ」「楊貴妃の双六」)
最高視聴率:25.3%(1991年3月21日放送「真夜中」「鏡」「ど忘れ」)
最低視聴率:11.0%(1990年7月12日放送「半分こ」「くせ」「死ぬほど好き」)
関東のみに放送された特別な回を含めると1992年12月7日放送の7.7%が最低視聴率
最終回視聴率
第1シリーズ:18.9%(1990年10月4日放送 90年秋の特別編「絶対イヤ!」 - 「幸福の選択」)
第2シリーズ:18.3%(1991年12月26日放送 91冬の特別編「王将」 - 「ハッピーバースデー・ツー・マイホーム」)
第3シリーズ:17.2%(1992年12月30日放送 92冬の特別編「妄想特急」 - 「サブリミナル」)
平均視聴率
第1シリーズ:16.1%
第2シリーズ:22.1%
第3シリーズ:16.1%
特番時代
最高視聴率:23.2%(1995年4月3日放送 '95春の特別編「指環」 - 「地図にない町」)
最低視聴率:6.5%(2023年11月11日放送「永遠のふたり」 - 「トランジスタ技術の圧縮」)
平均視聴率:14.99%(1993年7月『真夏の特別編』から2023年11月『秋の特別編』 現在)
2023年『秋の特別編』視聴率:6.5%(2023年11月11日放送「永遠のふたり」 - 「トランジスタ技術の圧縮」)
監督
監督の変遷
1990年4月19日 - 1992年12月7日
レギュラー放送として木曜日の夜8時に放送していた時である。