与那国島
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最寒月平均気温 18.5℃(1月)[15]

乾燥限界 620 mm < 年平均降水量2,323.0 mm[15]

最少雨月降水量 125.3 mm(7月)[15]


与那国島特別地域気象観測所(与那国町与那国、標高30m)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)27.5
(81.5)27.7
(81.9)29.0
(84.2)30.5
(86.9)33.1
(91.6)34.2
(93.6)35.5
(95.9)34.6
(94.3)34.4
(93.9)33.9
(93)30.2
(86.4)28.0
(82.4)35.5
(95.9)
平均最高気温 °C (°F)20.7
(69.3)21.3
(70.3)23.0
(73.4)25.5
(77.9)28.0
(82.4)30.3
(86.5)31.7
(89.1)31.4
(88.5)30.0
(86)27.8
(82)25.3
(77.5)22.2
(72)26.4
(79.5)
日平均気温 °C (°F)18.5
(65.3)19.0
(66.2)20.5
(68.9)23.0
(73.4)25.4
(77.7)27.9
(82.2)28.9
(84)28.7
(83.7)27.5
(81.5)25.4
(77.7)23.1
(73.6)20.1
(68.2)24.0
(75.2)
平均最低気温 °C (°F)16.6
(61.9)17.0
(62.6)18.3
(64.9)20.9
(69.6)23.4
(74.1)26.0
(78.8)26.8
(80.2)26.4
(79.5)25.3
(77.5)23.6
(74.5)21.3
(70.3)18.2
(64.8)22.0
(71.6)
最低気温記録 °C (°F)7.7
(45.9)8.4
(47.1)9.0
(48.2)12.1
(53.8)15.0
(59)17.6
(63.7)21.9
(71.4)21.7
(71.1)18.2
(64.8)16.2
(61.2)11.4
(52.5)9.1
(48.4)7.7
(45.9)
降水量 mm (inch)187.2
(7.37)163.6
(6.441)163.7
(6.445)153.0
(6.024)207.3
(8.161)162.3
(6.39)125.3
(4.933)213.0
(8.386)285.7
(11.248)238.5
(9.39)222.6
(8.764)200.8
(7.906)2,323
(91.457)
平均降水日数 (?0.5 mm)18.015.715.812.613.111.69.311.813.212.415.617.3166.4
湿度75767779818380817975767478
平均月間日照時間52.860.388.1104.7142.3182.3257.9227.4180.9132.286.059.01,568.6
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1956年-現在)[20][21]



自然東崎と与那国馬が多い地形のため、島内各所で群青色の海が見下ろせるが、透明度が高い(東崎)
海岸線

が多い地形のため、島内各所で群青色の海が見下ろせるが、与那国島北岸にある通称「6畳ビーチ」、「ウブドゥマイ浜」、岬全体が牧場になっている「東崎」などがある。「西崎」は日本最西端の岬、日本最西端之地でもある。岩場の細かい形までわかるほど、透明度が高い[22]
ヨナグニサン

ヨナクニの名を持つもっとも有名な動物は、日本最大のであるヨナグニサン(アヤミハビル)である。ただし、この種は与那国島の固有種でなく、近隣の石垣島や西表島でも見られ、世界的には中国台湾をはじめアジア各地に分布している。
与那国馬

北牧場および東牧場などでは日本在来馬与那国馬が飼育されている。与那国馬は1969年3月25日に与那国町の天然記念物に指定されている。
鳥獣保護区

2010年11月1日に約1,040 haの地域が国指定与那国鳥獣保護区(希少鳥獣生息地)として新規指定された[23]。特別保護地区は63 haである。これは国の天然記念物および国内希少野生動植物種に指定されているヨナクニカラスバトおよびキンバトの保全が目的である。これまで指定されていた鳥獣保護区は島の中央部の約187 haのみで、今回の指定では地域の変更や大幅な拡充が伴われ、新規指定となっている[24]

東崎の与那国馬(2020年11月4日)

与那国馬と観光客(東崎)

道路脇を歩く与那国馬

2006年7月18日(場所不明)

神話
ティダン・ドゥグル詳細は「創造神話」を参照

大昔、南の島から陸地を求めて来た男がいた。その男は大海原の中にぽつんと盛り上がった「ドゥニ[注釈 4]」を発見した。その「ドゥニ」に人間は住んでいなかった。

南から来た男は、この「ドゥニ」に人間が住めるかどうかを確かめるために、ヤドカリ[注釈 5]を矢にくくって放った。それから何年かたって、この「ドゥニ」に来てみるとヤドカリは見事に繁殖していた。

それで、その男は南の島から家族を引き連れて、この「ドゥニ」に住みついた。そのうちに人間が多くなったため、「ドゥニ」を大きくしてくださるように、神様にお願いした。

すると神様は、「ドゥニ」を大きくしてくださった。次に、草木をくださるようにお願いした。神様は色々な草木をくださった。そのおかげで、「ドゥニ」は緑で覆われるようになった。

ところが、この「ドゥニ」に天災が訪れた。4ヶ月間も大雨が降り続いたのである。そのため、人々は大変困った。体をあたためる薪を得るのにも困り、寒さと飢えが迫ってきた。人々は寄り合って、薪のことを心配していた。

そこへ1人の老人が現れ、「生の竹がよく燃える」と教えてくれた。そのおかげで、人々は暖をとって寒さと飢えをしのぐことができた。

この大雨のおかげでができ、島の姿がさらに美しくなった。その島が、与那国島といわれている。

神様は人々の祈りを聞き届けてくださったのか、さすがの大雨も降り止んだ。この雨が止み、最初に太陽の光の射したところを「ティダン・ドゥグル[注釈 6]」といい、今に至るまで拝所御嶽)になっている[27][28]
ナガマ・スニ詳細は「洪水型兄妹始祖神話」を参照

大昔、この島に大津波があった。そのため、人間家畜はことごとく死んでしまった。しかし、不思議にも1人の母親と2人の男の子が助かっていた。

その母親は、とどろき押し寄せるの間に、自分の子供子供を抱えて漂いながら、神様に救いを求めていた。そのうち「ナガマ・スニ[注釈 7]」というところに漂着した。ここは島の真ん中で、東西から押し寄せる波のぶつかり合うところだった。

ところが、ついにこの丘も危なくなって、子供を1人棄てるはめになった。2人の子供のうち、どちらを捨てたらよいか、これにとても悩んだ。つまり、1人は自分の実の子であるし、もう1人は兄の子供ではあるが、自分の家の血筋を受け継いだ最後の1人だったからである。

ついに母親は血筋を守る道を選び、自分の実子の手を放してしまった。それは実に悲しいことであった。

それから、皮肉にもすぐ大津波は静かになったため、母親とは助かった。島はその2人の子孫から再び栄えていった[29]
ドゥナダ・アブ

大昔、島の人々は野山に生えている木の実やの根を探して食べたり、海岸に出て魚介類をとって食べたりしていた。税金はなかったし、掟というものもなかったので、人々は本当に自由な暮らしをしていた。

ある日、青く澄みきった大空が、にわかに橙色に変わっていった。人々は、これはただごとではない、何かの前兆であろうと愕然とした。そのうちに空の色はだんだんと赤い色に変わり、ついに紅の炎となった。空の色が変わるにつれてどんどん暑くなっていった。

人々は号泣してに向かって祈りを捧げた。しかし、祈りの効果は少しも現れないで、とうとう運命の時がきて空から火の雨が降ってきた。人々は泣き叫びながら右往左往したが、この火の海から抜け出すことができなかった。

島は焦土と化し、生きとし生けるものすべてが焼き殺されてしまった。しかし、神の御心にかなった一家族だけが生き残っていた。その家族は神の声に従って「ドゥナダ・アブ[注釈 8]」に隠れていた。

そこに隠れていたおかげで無事に助かった。その子孫からは耕すことを知るようになり、また、働いて余分なものを蓄えることを知るようになった。そのため、島は栄えるようになった[30]
イヌガン

大昔、久米島から特別な仕立の船が沖縄本島に向かって出帆した。その船は琉球中山に奉る貢物を積んでいた。ところが悪天候に遭い、漂流してしまった。

かなり流されて、ようやくたどり着いたところは与那国島だった。上陸してみると住み心地のよさそうな無人島だった。この一行に1人の女と1匹のが加わっていた。

ところがある夜から、一行の中の男が1人1人行方不明になって、ついに女と犬だけが生き残った。


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