監督の山本薩夫は原作で長々と描写されているシベリア抑留には偏見があるとして興味を持たず[8][9]、原作にある戦闘機買い付けを巡る構造汚職の描写に興味を持ち[8]、シベリアの場面を短くしてその部分を膨らませたいと提案し、山田信夫と脚本を練った[8]。汚職事件は60年安保のさなかに起きた事件のため、安保闘争を絡めて描きたいと原作にないシーンを組み入れた[8]。 アメリカでのロケは、ロッキード、ダグラスとも撮影を拒否され[8]、やむなく民間の航空機修理工場でロケした[8]。アメリカロケは『マタギ』などで知られる後藤俊夫[8]。本作は撮影中から話題を呼んだが、クランクインから3週間後の1976年2月にロッキード事件が発生[8]。映画はロッキード事件と伴走するように製作されたが[10]、山本は保守政党の腐敗の本質を映画に反映させようとロッキード事件に対する自身の考えを取り込もうとした[8]。山本は映画製作中にこの件を自身で調べ、児玉誉士夫が介在して飛行機の機種を決める会議に源田実も田中角栄と一緒に出ていたと分かったと、原作にはない、そういうシーンを映画で出した[9]。これが後に問題となった[8][9]。 完成試写後、原作者の山崎豊子が『サンデー毎日』1976年7月18日号誌上のグラビア特集で[11]、原作と映画の違いを発表[8][11][12]。映画版はシベリアにおけるラーゲリ部分が少なくエピソードが友好的過ぎる、天皇の戦争責任に関して原作ではああいう型では扱ってない、山本が付け足した防衛庁空幕長が参院選に立候補する場面で、官房長官室の中で選挙資金が渡されるシーンに、白昼堂々と長官室で金のやりとりするなんて非常識なことするはずないなどのコメントを出し[8][11][12][13]、小説のイメージと同じくされては迷惑なので、原作者を原案にして欲しいと訴えた[11][12]。
撮影
クレーム