明治時代から、相手の商品を模倣したり、著名な商品名にただ乗りするなどの形で、不正競業と呼ばれる行為は広く行われており、そのために市場における営業上の権利(商号、商標など)に係る法律が制定されたが、権利を有していない場合などにおける救済措置は、ほとんど認められていなかった。特に、不正な行為や不法行為(民法709条)の適用の要件については、大正時代初期においては、きわめて限定的であり、弾力的な運用はなされてこなかった。
しかしながら、「大学湯事件」損害賠償請求事件(大正14年(オ)625号)大審院大正14年11月28日第三民事部判決において「湯屋業ノ老舗其ノモノ若ハ之ヲ賣却スルコトニ依リテ得ヘキ利益ハ民法第七百九條ニ所謂權利ニ該當スルモノトス」とする判示によって、この不法行為の要件が「権利の侵害」からその「違法性」へと変更され、不法行為により侵害される権利を広範に認めるという要件が成立するようになった。
また、1927年の世界大恐慌の後、1932年の上海事変の勃発による軍需景気によって、大日本帝国の経済は再び景気を取り戻しつつあったが、昭和初期における日本は、依然として低賃金で工業製品を大量に製造し、廉価で輸出するという形の工業国であったため、粗悪品や模倣品、商品の偽造といった様々な不公正貿易行為が対外的に強い批判にさらされていた。戦前の通商政策においては、日本が市場における不正な競業行為を否定することを積極的に対外的に訴えることで、外交上の批判をかわす必要があった。
以上を踏まえ、1934年に「工業所有権の保護に関するパリ条約ヘーグ改正条約」を批准する機会にあたり、旧不正競争防止法(昭和9年法律第14号)が制定された[1][2]。パリ条約上の義務に過不足なく対応しており、全6条という短い法律であった。 近年の政府における知的財産政策では、知的財産立国を目指す旨が掲げられており、知的財産権の強化という政策的な要求に伴って、不正競争防止法でも、以下のように数多くの改正が行われている[3]。 GATTウルグアイ・ラウンドのTRIPS交渉の状況を踏まえ、営業秘密に係る不正行為に対して差止請求権などの民事措置が新設された。しかしながら、営業秘密について刑事罰の導入は見送られた。 1993年(平成5年)に、旧不正競争防止法が全部改正され、条文の現代仮名遣いと平仮名化、目的の明記、不正競争の類型の整理・拡充および損害額推定規定が設けられた。著名表示冒用行為、商品形態模倣行為を追加し、更に、原産地等誤認惹起行為について、役務を追加した。 ロッキード事件を契機に1977年に連邦海外腐敗行為防止法を設置したアメリカ合衆国も、経済協力開発機構に取組を要請し、1997年に国際商取引における外国公務員に対する贈賄の防止に関する条約(OECD外国公務員贈賄防止条約)が採択されたことから、国会は1998年5月22日同条約の締結を承認して、条約に併せて第1次改正が行われた(平成10年9月28日法律第111号)。 1999年に一部が改正され(平成11年法律第33号)、技術的制限手段迂回装置等の提供等が禁止されることになった。1999年(平成11年)10月1日から施行された。 2001年に一部が改正され(平成13年法律第81号)、ドメイン名の不正取得や利用などの形態が不正競争行為に追加されることになった[4][5]。 2003年に一部が改正され、定義の一部がより弾力的に規定されると共に、営業秘密の刑事的保護の強化が図られることになった[6][7]。
近年の法改正
平成2年(部分改正)
平成5年(全部改正)
平成10年度改正(第1次改正)
平成11年度改正(第2次改正)
平成13年度改正(第3次改正)
平成15年度改正(第4次改正)
平成16年度改正(第5次改正)
Size:44 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef