不思議の国のアリス
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^ キャロルの住むオックスフォード大学の学寮クライストチャーチの学寮長の一家。
^ オックスフォードではテムズ川をこう呼んだ。
^ このピクニックは、一行にとってはじめてのボート遊びというわけではない。キャロルは同年6月、ダックワースとリデル三姉妹に加えて、自身を訪ねに来ていた姉のファニー、エリザベス、叔母のルーシーの8人のメンバーで、ニューナムにボートのピクニックに出かけている。このとき一行は帰りのボートで雨に降られてずぶぬれになり、途中でボートを降りて知人の家に避難しており、このときの体験が本作第2章の「涙の池」のエピソードの元になっている[3]。その後、7月3日にふたたびニューナムへのピクニックが計画されたが、雨で中止され、翌4日はニューナムには入れない日であったので、代わりにゴットストウへのピクニックに変更されたのである[4]
^ このときの様子は作品の巻頭の献呈詩のなかで「黄金の昼下がり」として描かれている。
^ もっとも、完成したこの本をプレゼントしたときにはキャロルとリデル家との関係はすでに冷えこんでいた。その経緯を書いた部分と思われる箇所がキャロルの日記から(おそらくキャロルの死後に姪によって)削除されているため原因は不明であるが、キャロルがアリスに求婚してリデル夫人に断られたのではないかとも推測されている[8]
^ チャールズ・キングスレーの弟ヘンリー・キングスレーも小説家であった。彼もある日リデル家を訪れた際に『地下の国のアリス』を目にし、リデル夫人を介してキャロルにこの作品の出版を勧めている[11]
^ 出版中止した初版本2000部のうち、製本されていなかった1950部は、テニエルの了承を経たうえでアメリカ合衆国のアプルトン社に売却され(翌1866年刊行)出版費用の足しにされた[15][16]。この1950部はコレクターの間で高い値が付けられているが、製本済みであった50部の初版本(22部の現存が確認されており、現在は5部を除いて博物館・図書館が所蔵)はさらに高額で取引される。しかしもっとも高額で取引されたのは、1928年にアリス・ハーグリーブス(リデル)がやむを得ず手放した『地下の国のアリス』原本である。『地下の国のアリス』は当時サザビーズのオークションで史上最高の15400ポンドで落札されたが、その後1948年に有志に買い戻され、現在は大英博物館に所蔵されている[17]
^ ルイス・キャロル(チャールズ・ドジソン)が『不思議の国のアリス』の次に出版した本は文芸作品ではなく、ドジソン名義で出版した数学書 An Elementary Treatise on Determinants(1867年、『行列式初歩』)であった。このため、『不思議の国のアリス』を気に入ったヴィクトリア女王がキャロルに次の著作を送るよう求めたところ、この数学書が送られてきた、といったエピソードが広まったが、これはまったくの作り話であると、キャロル自身が生前『記号論理学』第二版の広告文の中で否定している[24]
^ 「コーカス」(caucus) は北米インディアンの言葉 kawlkawlasu(counselorの意)に由来しており、アメリカでは政党の「幹部会」の意味で用いられていた。イギリスでは、これに対し「高度に統御された政党組織」というニュアンスで、対立組織に対する罵倒の際に用いられていた。本作中の「コーカス・レース」は、こうした組織のメンバーが要職を得ようとして、年中画策していることの戯画として書かれているものと見られる。前述のキングスリー『水の子どもたち』第7章には、カラスの会議の場面に「コーカス・レース」という言葉が出てきている。そこから、キャロルはこれに影響を受けたものと見られるが(『地下の国のアリス』には「コーカス・レース」の場面はない)、両者の場面に共通点はほとんどない。[28][29]
^ 「鴉と書き物机が似ているのはなぜか?」というこのなぞなぞは、その答えをめぐって、当時の一般家庭のお茶の間でしばしば話題に上り、『不思議の国のアリス』の後の版でキャロルによって(後で考え出された)その答えが提示されている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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