不如帰_(小説)
[Wikipedia|▼Menu]
片岡中将の後妻繁子は、英語をとうとうと喋り、夫も手を焼く意地悪な女性であると描写されている[18]。実際の信子の継母であった大山捨松は日本最初の女子留学生であり、アメリカで看護師の短期教育を受けた経験もあった[18]。捨松の指示により、隔離のため信子は大山邸の離れで暮らし、食器や衣服は区別して消毒も行われた[19]。兄弟との接触も制限されたが、これは感染症の意識に乏しい当時の人々には虐待に映っていた可能性もある[19][18]。捨松の友人であった津田梅子は親の言いなりになっている彌太郎に激怒し、直談判に赴いたこともある[16]。また信子の最後の家族旅行には、小説と異なり捨松も同行している。信子と彌太郎の離婚は1895年9月に成立し[16]、1896年5月は信子は病死した。
小説を元にした作品

本作品を原作とした映画や演劇などの演劇作品が数多く制作されている。
舞台

この節の加筆が望まれています。

新派劇の人気演目として度々上演された[4]
映画

1909年 『ホトトギス』

1909年 『ほととぎす』

1910年 『不如帰』(製作:
吉沢商店

1911年 『不如帰』(製作:福宝堂

1911年 『不如帰』(製作:福宝堂)

1914年 『不如帰』(製作:弥満登音影)

1915年 『不如帰』(製作:天活、監督:吉野二郎、出演:藤野秀夫木下八百子井上正夫ほか)

1919年 『不如帰』(製作:日活、監督:田中栄三、出演:藤野秀夫、衣笠貞之助山本嘉一ほか)

1921年 『不如帰』(製作:小松商会、監督:不明、撮影:杉山大吉、出演:村田豊子ほか)

1922年 『不如帰』(製作:松竹キネマ、監督:池田義臣、出演:岩田祐吉栗島すみ子ほか)

1922年 『不如帰』(製作:日活、出演:新井淳、春日麗子、横山運平荒木忍ほか)

1922年 『傑作集粋「不如帰」(明治文壇海岸の悲劇)』(製作:松竹キネマ、監督:賀古残夢、出演:川田芳子諸口十九ほか)

1924年 『不如帰浪子』(製作:松竹キネマ、監督:池田義信、出演:岩田祐吉、栗島すみ子ほか)

1926年 『不如帰』(製作:帝国キネマ、監督:松本英一、出演:松本泰輔、富士日出子ほか)

1926年 『不如帰』(製作:国光公司、中国映画)[9]

1932年 『不如帰』(製作:新興キネマ、監督:木村恵吾、出演:中野英治高津慶子、松本泰輔ほか)

1932年 『不如帰』(製作:松竹キネマ、監督:五所平之助、出演:長谷川一夫川崎弘子ほか)

1932年 『浪子』(製作:オリエンタル映画、監督:田中栄三、出演:水谷八重子汐見洋大日方伝

1934年 『浪子の一生』(製作:P.C.L.、監督:矢倉茂雄、出演:伏見信子、汐見洋、藤原釜足ほか)

1958年 『不如帰』(製作:新東宝、監督:土居通芳、出演:高倉みゆき、和田桂之助、大空真弓丹波哲郎ほか)

テレビ

1963年 『不如帰』(
NHK、出演:神山寛市川和子佐々木孝丸二葉百合子ほか)

漫画

1928年 『不如歸』(刊行:中央美術社:現代漫画大観 第2編 文芸名作漫画に収録、画:
北澤楽天

2006年 『不如帰』(刊行:集英社文庫(集英社)、画:高見まこ

上巻 (2006年2月発行) ISBN 4-08-618499-0

下巻 (2006年2月発行) ISBN 4-08-618500-8


脚注[脚注の使い方]
注釈^ 岩波文庫版の巻末の注:題名の読み方について/最初新聞にのったときは「ほととぎす」とふりがながついていて以来一般にそれが用いられてきました。作者自身はのちに「ふじょき」と言い、百版の序文ではそうふりがなしていますが、本文庫版では言いならわしに従って「ほととぎす」の方を採用しました。
^ 「不如帰(ふじょき)が百版になるので、校正かたがた久しぶりに読んでみた。(中略)明治42年2月2日 昔の武蔵野今は東京府下/北多摩郡千歳村粕谷の里にて/徳冨健次郎識」。

出典^第百版不如帰の巻首[注釈 2]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:34 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef