栃木県宇都宮市昭和一丁目8番11号
支社・総局・支局足利総局(栃木県足利市)
支社東京支社東京都千代田区内幸町
大阪支社大阪府大阪市北区梅田
総局大田原総局大田原市浅香
日光今市総局日光市今市本町
宇都宮総局宇都宮市旭
真岡総局真岡市荒町
足利総局足利市大橋町
小山総局小山市粟宮
支局那須塩原支局那須塩原市沓掛
矢板支局矢板市富田
那須烏山支局那須烏山市旭
日光支局日光市石屋町
さくら支局さくら市卯の里
鹿沼支局鹿沼市下田町
下野支局下野市石橋
茂木支局芳賀郡茂木町茂木
佐野支局佐野市高萩町
栃木支局栃木市万町
宇都宮まちなか支局宇都宮市江野町
出典 : ⇒支社・総支局住所一覧 - 下野新聞 公式ホームページ
番組表(2023年12月現在)
最終面
上段左からNHK宇都宮総合、NHK Eテレ、日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビをフルサイズ、とちぎテレビはフルサイズよりやや小さく掲載。
下段左からNHK BS、NHK BSプレミアム4K、BS日テレ、BS朝日、BS-TBS、BSテレ東、BSフジ、BS12
中面
上段左から栃木放送、RADIO BERRY、WOWOWプライム・ライブ・シネマ、BS松竹東急、BSよしもと
中段左からNHKラジオ第1、NHKラジオ第2、TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、ラジオ日本、BS11
下段左からNHK-宇都宮FM、TOKYO FM、NACK5、J-WAVE、放送大学テレビ・ラジオ、群馬テレビ(1981年11月1日から掲載、1993年11月30日までは最終面に掲載)。
なお、FM補完中継局の周波数は栃木放送の宇都宮局を除き掲載していない。また、テレ玉は1995年4月1日から掲載していたが2011年頃に掲載を終了した。 この節には複数の問題があります。改善
栃木新聞時代の補足
出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2020年5月)
独自研究が含まれているおそれがあります。(2020年5月)
第1次
1878年6月1日 - 11月2日(計37号)題字は「杤木新聞」、発行所は栃木(現・栃木市)の万象堂、月8回刊。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}紙面にははっきり書いてないが、交付式新聞(県が発行代金の一部を負担するかわりに、県の命令などを知らせるための記事も載せた新聞)だったと考えられている。[要出典]
第2次
1879年8月2日 - 1882年7月31日発行所は共進社、隔日刊。田中正造が編集長になり、紙面上で国会の設立を訴える。足利新報との合併準備のため1882年7月31日付を最後に休刊した。なお、田中正造は合併に反対し、合併前の1882年5月に退社している。ただしこれは田中の記述を元にしており、他の関係者の記述では、田中は退社後も合併準備のために走り回り、第3次栃木新聞の発刊を見届けるところまで関係していたともいう。
第3次
1882年9月2日 - 1884年2月21日足利(現・足利市)の足利新報と対等合併。発行所名は足利新報の旭香社を引継ぎ、題字は栃木新聞を継承した。宇都宮で「下野旭新聞」を発行していた鶏鳴社との合併・移転準備のため1884年2月21日付で休刊。なお「下野旭新聞」についてはほとんど記録がないが、発行回数などはあまり多くなかったらしい。[要出典]
関連事業・イベント
下野新聞模擬テスト[4]
下野教育書道展
下野教育美術展
下野新聞小学生読書感想文コンクール
しもつけスケッチコンクール
下野奨学会
下野新聞ハウジングセンター
下野新聞NEWS CAFE
栃木県少年サッカー大会(栃木放送と共催)
関連会社
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