下総国
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

^ 元禄年間には結城藩が再置されて、結城城も再建されたものの、石高は明治維新まで1.8万石であった。
^ 埼玉県は既に武蔵国葛飾郡の北半部を管下に置いている。
^ 埼玉県に編入された下総国葛飾郡は中葛飾郡となったのち、武蔵国葛飾郡北半を以て編成された北葛飾郡に編入された。これは下総国であった区域が武蔵国に編入されたことになるので、通常、埼玉県は全域が武蔵国であったとして扱われる。
^ 本多康俊(5000石)。慶長6年(1601年)に三河西尾藩に移封[6]
^ 木曾義利(1万石)。慶長5年(1600年)除封[6]
^ 松平定勝(3000石)。慶長6年(1601年)に遠江掛川藩に移封[6]
^ 松平家忠(1万石)。小見川藩に移転。
^ 天野康景(5000石)。慶長5年(1600年)に駿河興国寺藩に移封。『角川新版日本史辞典』(角川学芸出版、1996年)「近世大名配置表」には大須賀(藩)の記載がない。
^ 松平信一(5000石)。慶長6年(1601年)に常陸土浦藩に移封[6]
^ 本多成重(3000石→5000石)。慶長18年(1613年)に越前丸岡藩に移封[7]

出典^ 「栃木県の旧国名「下野」について、上下で区別されているのはなぜか。上野・下野、上総・下総以外は、越前・越後のように全て前後で区別されているが。」(栃木県立図書館) - レファレンス協同データベース
^ 石井進他・編 『千葉県の歴史』 山川出版社、2000年、ISBN 4-634-32120-3、「千葉と房総三国の名の由来」の項。
^ 楠原佑介他・編『古代地名語源辞典』 東京堂出版、1981年、ISBN 4-490-10148-1、「総」の項。
^ 最新情報:本学駐車場の埋蔵文化財発掘調査を実施千葉商科大学 2023年7月23日閲覧
^ <ちばライブ>市川・国府台 下総国の国庁の位置確定したい 市民団体、工事での遺構破壊懸念東京新聞千葉版 2023年7月23日閲覧
^ a b c d 『角川新版日本史辞典』(角川学芸出版、1996年)p.1302「近世大名配置表」
^ 『角川新版日本史辞典』(角川学芸出版、1996年)p.1301「近世大名配置表」

関連項目ウィキメディア・コモンズには、下総国に関連するカテゴリがあります。

令制国一覧

総武

しもうさ号 - (2010年より運行を開始した、武蔵野線西船橋駅方面と大宮を結ぶ直通列車)

先代
総国区域の変遷
6世紀中葉 - 1868年次代
下総知県事
安房上総知県事










令制国
五畿七道

畿内

大和芳野

山城

河内

和泉

摂津

東海道

伊賀

伊勢

志摩

尾張

三河

遠江

駿河

伊豆

甲斐

相模

武蔵

安房

上総

下総

常陸

東山道

近江

美濃

飛騨

信濃諏方

上野

下野

出羽羽前 - 羽後

陸奥岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥)(石背 - 石城

北陸道

若狭

越前

加賀

能登

越中

越後

佐渡

山陰道

丹波

丹後

但馬

因幡

伯耆

出雲

石見

隠岐

山陽道

播磨

美作

備前

備中

備後

安芸

周防

長門

南海道

紀伊

淡路

阿波

讃岐

伊予

土佐

西海道

筑前

筑後

豊前

豊後

肥前値嘉

肥後

日向

大隅多禰

薩摩

壱岐

対馬



次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:73 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef