下北沢
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このため駅周辺には個性的な古着屋や飲食店、ライブハウスが集積している[6]。下北沢は、テレビや雑誌などで吉祥寺三軒茶屋自由が丘中目黒代官山などと並んで「若者の街」「古着屋の街」「ファッションの街」「サブカルチャーの街」と紹介されている。また、本多劇場を中心として多くの小劇場が立ち並び、「演劇の街」としても知られる。新しい店舗の多くは最近のメディアなどで集まる客を相手にする一方で、昔ながらの店舗も残り、新旧が混在している街である。国士舘大学世田谷・梅ヶ丘キャンパス、明治大学和泉キャンパス東京大学駒場キャンパスなどが近いため、学生の訪問も多い。

北に渋谷区笹塚幡ヶ谷、東に同区大山上原目黒区駒場等、南に世田谷区池尻太子堂、西に同区代田大原に接する。

鉄道は、下北沢駅小田急小田原線京王井の頭線)の他に、東北沢駅(小田急小田原線)、池ノ上駅(京王井の頭線、代沢に所在)が設けられている。

道路は、茶沢通りの他に東京都道420号鮫洲大山線井の頭通りが通るものの、自動車は元より、休日には自転車の相互通行もままならない様な幅員2m程度の狭小路地が多く、下北沢駅前の商店街などではそれら狭小路による安全上の問題が指摘されている。

河川北沢川が西から東に流れ、さらに北沢川に合流するいくつかの小川・水路等が一部で起伏のある地形を形成し、下北沢駅は「支流」が形成する谷に位置している。下北沢のほとんどが北沢川の流域に当たる(参考:東京都都市整備局『 ⇒目黒川流域豪雨対策計画』他)。他に、玉川上水の水路が笹塚との境界付近を概ね北西から幡ヶ谷方面に向けて通る。ただ、これらの河川等は昭和時代までにほぼ暗渠化され、遊歩道の敷地などとなっている。さらにかつては、当地区北部で三田用水が玉川上水から分水され、大山町、上原との境界に沿って流れていたが、暗渠化の後に廃止されている(参考:旧版地図、他)。玉川上水の水路は現在ほぼ暗渠化され、遊歩道として整備されている。

池ノ上駅や東北沢駅は、谷に狭まれた台地状の地形に位置する。なお、この起伏は井の頭線の車窓からもよく見える。

メディアで取り上げられ続けている下北沢駅前のイメージが強いが、それ以外の東北沢・池ノ上の両駅前などに近隣商業又は路線商業地域が形成されているものの、それ以外は概ね住宅地で、中小規模の共同住宅、木造等の戸建住宅が多い。京王井の頭線及び小田急線の利用で渋谷新宿へ十数分でアクセスでき、利便性が高い。かつては佐藤栄作-竹下登邸(代沢)もあった閑静な住宅地の区域もある。
下北沢駅前の商店街下北沢あずま通り(下北沢東会)

下北沢駅は小高い丘を挟んで位置し、南口は低く、西口周辺は高い位置にあり、狭隘な街路が入り組んでいる。こうした地域特性から、周辺住民を対象とした雑貨屋、古着屋、生地屋などが古くから存在し、「コットン・タウン」と呼ばれ脚光を浴びた時期もある。いくつかの店舗名にコットンを付けたものがあることで当時の名残りが偲ばれる。

また、北口の駅前には「下北沢北口駅前食品市場」という小規模な小売店が集まる一角が2017年9月まであった。1948年頃から駅前に集まった店が、トタン屋根の下で市場を形成し始めた。最盛期の1970年頃には約70店が営業していた[7][8]

商業地域は、それより前からある小田急線の線路で概ね区分される状態で、複数の商店街組織がある。

下北沢一番街

しもきた商店街

下北沢東会

下北沢南口商店街

下北沢南口ピュアロード新栄商店会

代沢通り共栄会

街並みの状態や、下北沢に警察署がないこと(交番はある)などが、かえって商店街レベルでの防犯への危機感につながってきている面もある。パチンコ店や北沢八幡宮例大祭での露店からの暴力団排除、近年では、落書き消去・防止の活動に力を入れている商店街もある。落書き消去は、東京周辺などの他地域の商店街からも注目され、度々報道でも取り上げられている(参考:『平成4年警察白書』、北澤八幡神社他)。
地価

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、北沢1-24-15の地点で65万7000円/m2となっている。
歴史

元々、この地域は武蔵国および東京府の荏原郡下北沢村であり、世田ヶ谷町への合併を経て世田谷区北沢・代沢になった。概ね現在の北沢一丁目から五丁目および代沢二・三・五丁目ならびに四丁目の北東部および代田五・六丁目の東側のごく一部が、旧下北沢村に該当する。

なお、代沢には、下北沢=旧北沢の一部以外に、代田の飛び地「下代田」等(概ね現:四丁目の一部、一丁目に相当)が編入された(「代沢」の地名はこれらに由来する)。

元々の中心は現在の代沢三・五丁目付近、北沢八幡宮、森巖寺淡島神社分社や代沢小学校のある辺りであり、明治時代の旧版地図5万分1図名:東京西南部明治45年縮図には「下北澤本村」の文字が見られる。現在も茶沢通り沿いに商業地域が形成されている。村の開墾時代についても含めた詳細は「代沢」「北澤八幡神社」を参照。


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