北に渋谷区笹塚、幡ヶ谷、東に同区大山、上原、目黒区駒場等、南に世田谷区池尻、太子堂、西に同区代田、大原に接する。
鉄道は、下北沢駅(小田急小田原線・京王井の頭線)の他に、東北沢駅(小田急小田原線)、池ノ上駅(京王井の頭線、代沢に所在)が設けられている。
道路は、茶沢通りの他に東京都道420号鮫洲大山線や井の頭通りが通るものの、自動車は元より、休日には自転車の相互通行もままならない様な幅員2m程度の狭小路地が多く、下北沢駅前の商店街などではそれら狭小路による安全上の問題が指摘されている。
河川は北沢川が西から東に流れ、さらに北沢川に合流するいくつかの小川・水路等が一部で起伏のある地形を形成し、下北沢駅は「支流」が形成する谷に位置している。下北沢のほとんどが北沢川の流域に当たる(参考:東京都都市整備局『 ⇒目黒川流域豪雨対策計画』他)。他に、玉川上水の水路が笹塚との境界付近を概ね北西から幡ヶ谷方面に向けて通る。ただ、これらの河川等は昭和時代までにほぼ暗渠化され、遊歩道の敷地などとなっている。さらにかつては、当地区北部で三田用水が玉川上水から分水され、大山町、上原との境界に沿って流れていたが、暗渠化の後に廃止されている(参考:旧版地図、他)。玉川上水の水路は現在ほぼ暗渠化され、遊歩道として整備されている。
池ノ上駅や東北沢駅は、谷に狭まれた台地状の地形に位置する。なお、この起伏は井の頭線の車窓からもよく見える。
メディアで取り上げられ続けている下北沢駅前のイメージが強いが、それ以外の東北沢・池ノ上の両駅前などに近隣商業又は路線商業地域が形成されているものの、それ以外は概ね住宅地で、中小規模の共同住宅、木造等の戸建住宅が多い。京王井の頭線及び小田急線の利用で渋谷・新宿へ十数分でアクセスでき、利便性が高い。かつては佐藤栄作-竹下登邸(代沢)もあった閑静な住宅地の区域もある。
下北沢駅前の商店街下北沢あずま通り(下北沢東会)
下北沢駅は小高い丘を挟んで位置し、南口は低く、西口周辺は高い位置にあり、狭隘な街路が入り組んでいる。こうした地域特性から、周辺住民を対象とした雑貨屋、古着屋、生地屋などが古くから存在し、「コットン・タウン」と呼ばれ脚光を浴びた時期もある。いくつかの店舗名にコットンを付けたものがあることで当時の名残りが偲ばれる。
また、北口の駅前には「下北沢北口駅前食品市場」という小規模な小売店が集まる一角が2017年9月まであった。1948年頃から駅前に集まった店が、トタン屋根の下で市場を形成し始めた。最盛期の1970年頃には約70店が営業していた[7][8]。
商業地域は、それより前からある小田急線の線路で概ね区分される状態で、複数の商店街組織がある。
下北沢一番街
しもきた商店街
下北沢東会
下北沢南口商店街
下北沢南口ピュアロード新栄商店会
代沢通り共栄会
街並みの状態や、下北沢に警察署がないこと(交番はある)などが、かえって商店街レベルでの防犯への危機感につながってきている面もある。パチンコ店や北沢八幡宮例大祭での露店からの暴力団排除、近年では、落書き消去・防止の活動に力を入れている商店街もある。落書き消去は、東京周辺などの他地域の商店街からも注目され、度々報道でも取り上げられている(参考:『平成4年警察白書』、北澤八幡神社他)。 住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、北沢1-24-15の地点で65万7000円/m2となっている。 元々、この地域は武蔵国および東京府の荏原郡下北沢村であり、世田ヶ谷町への合併を経て世田谷区北沢・代沢になった。概ね現在の北沢一丁目から五丁目および代沢二・三・五丁目ならびに四丁目の北東部および代田五・六丁目の東側のごく一部が、旧下北沢村に該当する。 なお、代沢には、下北沢=旧北沢の一部以外に、代田の飛び地「下代田」等(概ね現:四丁目の一部、一丁目に相当)が編入された(「代沢」の地名はこれらに由来する)。 元々の中心は現在の代沢三・五丁目付近、北沢八幡宮、森巖寺、淡島神社分社や代沢小学校のある辺りであり、明治時代の旧版地図5万分1図名:東京西南部明治45年縮図には「下北澤本村」の文字が見られる。現在も茶沢通り沿いに商業地域が形成されている。村の開墾時代についても含めた詳細は「代沢」「北澤八幡神社」を参照。 起伏のある地形からか、「山谷」の付く字がいくつか見られた(参考:旧版地図5万分1図名:東京西南部明治45年縮図)。 1927年の下北沢駅開業後、元々は水田地域であった同駅周辺[9](物理的中心に近いが)に商業地が形成され、地域の重心が移って行った。他の部分の宅地化は、帝都線(現:井の頭線)開通、池ノ上などの集落の形成を経て、急速に進んでいった。この急速な宅地化に街路など公共スペースの整備が追いつかずに狭小な街路が目立つ街並みとなり、宅地化後は全体的に大きな変化はなく推移してきた。 宅地化の進む過程で、企業が厚生施設や研修所などを設ける例も散見されたが、近年、急速にこれらの施設の廃止が進んでいる。 1991年4月、世田谷区に5総合支所がオープンし、下北沢には北沢総合支所(舞台芸術に対応した設備のある北沢タウンホール)が設置され、世田谷区北沢地域の中心となっている。 2019年(令和元年)9月1日時点の世帯数と人口は以下の通りである[1]。 丁目世帯数人口 丁目番地小学校中学校 主要なもののみ記載。
地価
歴史
世帯数と人口
北沢一丁目3,172世帯5,242人
北沢二丁目1,741世帯2,502人
北沢三丁目2,086世帯3,184人
北沢四丁目2,025世帯3,361人
北沢五丁目2,642世帯4,157人
計11,666世帯18,446人
小・中学校の学区
北沢一丁目全域世田谷区立池之上小学校
北沢二丁目5?8番
22?40番世田谷区立下北沢小学校世田谷区立北沢中学校
その他世田谷区立代沢小学校世田谷区立富士中学校
北沢三丁目全域世田谷区立下北沢小学校世田谷区立北沢中学校
北沢四丁目全域
北沢五丁目全域
一般施設
スーパーマーケット
ダイエーフーディアム 下北沢店
ピーコックストア下北澤店(旧大丸ピーコック店)
オオゼキ下北沢店
成城石井下北沢西口店
まいばすけっと下北沢南口店
金融機関
三井住友銀行
三菱UFJ銀行
みずほ銀行
横浜銀行
東日本銀行
ゆうちょ銀行
イオン銀行
昭和信用金庫
文化施設本多劇場
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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