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上野国
■-上野国
■-東山道
別称上州(じょうしゅう)
上毛(じょうもう・かみつけ)
上毛野(かみつけの・かみつけぬ)
所属東山道
相当領域群馬県[注釈 1]
諸元
国力上国のち大国[注釈 2]
距離遠国
郡・郷数14郡102郷
国内主要施設
上野国府群馬県前橋市
上野国分寺群馬県前橋市・高崎市(上野国分寺跡)
上野国分尼寺群馬県前橋市・高崎市
一宮一之宮貫前神社(群馬県富岡市)
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上野国(こうずけのくに[1]、かみつけぬのくに、かみつけののくに、かみつけのくに)は、かつて日本の令制国の一つ。東山道に属する。おおむね現在の群馬県にあたる。別名は、上州(じょうしゅう)、上毛野(かみつけの・かみつけぬ)、上毛(じょうもう・かみつけ)など。 4世紀頃?毛野 古代関東には「毛野(けの/けぬ)」および「那須(なす)」と呼ばれる地域と、それぞれを拠点とする政治勢力が存在した。そして前者の毛野が上・下に二分されて「上毛野(かみつけの/かみつけぬ)」「下毛野(しもつけの/しもつけぬ)」となったといわれる[2][3]。毛野の起こりについては、『常陸国風土記』によると筑波はもともと紀の国であるといい、この紀の国と毛野が同一かは不詳だが、「毛野河」は筑波西部の郡の境界とある。また『続日本紀』では毛野川は古くから常陸国と下総国の境界であると記されているなど、毛野と毛野川(現在の鬼怒川)の深い関わりがうかがわれる。『上野名跡志
「上野」の由来と読み
毛野地域の変遷
5世紀末頃?上毛野下毛野那須
7世紀末上毛野国下毛野国
8世紀初頭上野国下野国
↓↓
現在の
都道府県群馬県栃木県
国名の上下については、上総国と下総国などと同様、一国を「上」と「下」に二分したものとされるが、備・越・筑・豊・肥等のように前後に分けられた国との違いは不詳である[4]。またこの分裂は史書に無く詳細は不明で、古くから議論がある(「毛野#毛野の分裂」を参照)。
『大宝律令』の制定においても、上毛野は「上毛野国(かみつけの/かみつけぬ)」として令制国の1つに定められた[5]。その後、上毛野国・下毛野国の国名は「上野国」・「下野国」と改められた。この際、「毛」の字は消えたものの「こうずけのくに」として読みにその名残をとどめている。「上毛(じょうもう)」という別称は今でも用いられている。なお「かみつけ」からの転訛であるが、読みは慣用的に「こうづけ」でなく、四つ仮名の混同により(現代仮名遣いでは)「こうずけ」と振られて表記される。
読みについて、『和名抄』には「加三豆介乃」[6]、『万葉集』には「可美都氣努」「可美都氣野」などが見られる。同集で当国名が詠まれた12首のうち11首までは末尾を「努(ヌ)」と詠んでいるのに対し「乃(ノ)」としているのは1首のみで[7]、奈良時代頃までは「かみつけぬ」後世に「かみつけの」と読みが変わったものと推定されている。さらに、「美」については「ウ」とも読み[注釈 3]、「ウ」の次の読みは濁ることが多く「ヅ」となり訛って「ノ」を省き「カウヅケ」となったとの解釈がある[8]。そして、「かう〔kau〕二重母音」→「こー〔k??〕(長母音・円唇後舌半広母音)」のように変化していったものと思われる。
「努」の読みの解釈については「努」は万葉仮名の「ノ(甲類)」であるとし、「けぬ」は江戸時代以来の誤った読みとする説もある[9][10][11][12]。