上海国際博覧会(シャンハイこくさいはくらんかい)は、2010年5月1日から同年10月31日まで、中華人民共和国上海市浦東新区の上海世博園で開かれた国際博覧会である。
約160年の国際博覧会の歴史において発展途上国における初めての開催とされることが多いが[1]、実際には1949年にハイチの首都ポルトープランスで博覧会が開かれたという記録があるほか[2]、国際園芸博覧会兼国際博覧会(1990年に大阪で行われた花の万博と同じタイプ)は、1999年に同じ中国で昆明世界園芸博覧会が、2006年にはタイでチェンマイ国際園芸博覧会が開かれている。
過去に万博に参加したことがない北朝鮮が初めて出展、1970年の大阪の日本万国博覧会以来40年ぶりに参加する中華民国(台湾)が出展したことでも知られる。また、資金難で2000年のハノーヴァー万国博覧会への参加を見送ったアメリカ合衆国も、2005年の愛知万博に引き続き今回も出展するなど、参加国、国際機関は万博史上最多の246を数え[1]、敷地も万博史上最大であり、世界193カ国が参加申請うち189カ国が出展し(クウェート、ブータン、ブルキナファソの3か国は開幕前に申請を撤回した[3])、中国では皇帝時代の「万国来朝」に喩えられた[4]。しかし、上海協力機構、欧州連合、ASEAN、アラブ連盟、アフリカ連合のような地域連合までもが参加したようにこの裏には過剰な勧誘があったとされ、この件は「問題」の項目を参照されたい。
建設、運営費用などの総事業費は万博史上最高額の約286億元(約3,900億円)、地下鉄や空港などのインフラ建設や都市整備などを含めると4千億元(約5兆5千億円)が投入された。 2002年12月3日にモナコのモンテカルロで開催されたBIE(博覧会国際事務局)総会で、メキシコシティ(メキシコ)、モスクワ(ロシア連邦)、麗水(韓国)、ヴロツワフ(ポーランド)を破って開催が決定した。2005年日本国際博覧会(愛知万博、愛・地球博)に続く、新条約としては2度目の総合的なテーマを取り扱う大規模な国際博覧会(登録博覧会)である。テーマは「より良い都市、より良い生活」(「城市、?生活更美好」、"Better City Better Life")。シンボルカラーはグリーンとオレンジ。 中国語での正式名称は「中国2010年上海世界博覧会」であるが、「中国2010年上海世博会」の名称が主に使用され、略称として「上海世博会」・「上海世博」と呼ばれることも多い。日本語版公式ホームページでは「中国2010年上海万博」の名称が採用されている。 会場面積(観覧エリア)は黄浦江の両岸にまたがり、主として企業パビリオンが建ち並ぶ西岸の「浦西エリア」と主として各国のパビリオンが並ぶ東岸の「浦東エリア」に分かれ、両方を合わせると328ヘクタールにおよび、過去最大の広さである。会場の両端の距離は約4キロメートルであり、会場内の移動に地下鉄やバスが使用された。 万博のテーマソング『歓楽節拍123』を歌うのは台湾のアイドルグループ飛輪海である。公式マスコットは「海宝(ハイバオ、かいほう)」、また、ロゴマークは漢字の「世」とアラビア数字の「2010」を組み合わせたものである。 会期中の6か月間で、大阪万博を上回る史上最多の入場者を目指していたが、これは2010年10月16日に達成され、目標の7,000万人の入場者も2010年10月24日に達成された[1]。 堺屋太一によれば、1984年に堺屋が汪道涵上海市長に中国発展の起爆剤として万博開催を提案し、1985年からは新しく上海市長となった江沢民のもとで万博構想の具体化が進められ、上海万博準備室の黄耀誠 上海万博を開催するに先だって中国政府は、知的所有権にかかわるいくつかの条約を批准し、国内的にも、著作権や商標権の侵害を本格的に取り締まる法律の整備を行った[5]。
概要
経過