上沼恵美子
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しかし、翌1995年の『第46回NHK紅白歌合戦』での紅組司会の際については「ころっと変わりました。大事にされました」と話している[12]
2000年代

2002年のNHKが実施したタレント好感度ランキングでは、女性部門で久本雅美松嶋菜々子に次いで3位になる。2003年度長者番付大阪地区では、芸能人部門で1位となった。

2007年下期のNHK連続テレビ小説ちりとてちん』で語りを担当した。同作では主人公の老年後という設定での参加だったが、放送されたストーリー分の時代よりも後の時代から回想して語るという設定だった為、実際に本人が主役として画面に登場することはなかった。ただし、『第46回NHK紅白歌合戦』の映像の流用と言う形で本人役での出演を果たしている。

2007年より大会委員長の島田紳助からの直々の依頼により、朝日放送『M-1グランプリ』に初の女性審査員として出演。同年から2009年まで審査員を務めたほか、大会の中断期間を挟んで2016年から2021年まで筆頭審査員を務めた。
2010年代

2014年2月中旬に急性A型肝炎を患い入院するも、3月3日にラジオの生放送で復帰した[13]
2020年代

2022年にセミリタイアを宣言し、テレビ・ラジオともにレギュラー番組は1本となっている。一方で、新たにYouTubeチャンネルを開設し、トーク企画や料理企画などを配信している。
歌手活動

幼少時から数々のちびっこのど自慢大会に出場し[8]、「のど自慢荒らし」と呼ばれていた。当時のライバルは天童よしみで、毎回天童が優勝する為、自身は準優勝であったと言う[14]

デビュー当時、北島三郎のコンサートの前座を務めた際、北島に歌唱力を認められ、北島の下で歌手への転向を勧められたが断ったと言うエピソードがある[6]。後に海原千里・万里として1976年に発売した「大阪ラプソディー」がヒットを記録している。

コンビ解消後も歌手として、1年に一度のペースで大阪フェスティバルホール等の会場を使用して関西地区限定でコンサートを行っており、NHKの歌番組にも度々出演している。
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芸風

自身のレギュラー番組において過去に共演した芸能人を批判することがよくある。また、ゲスト出演した芸能人に「嫌いな芸能人」などのネタを聞き出すことも多い。放送時には効果音で実名が消されイニシャルトークで進行されるが、実名で批判することもあった。パターンとしては、自身が出演しているラジオ番組こころ晴天の中でテレビ番組いつでも笑みをにゲスト出演した鶴田真由の態度が不快だったと生放送で語ったり、清水アキラに対しては、「あんなヤツ、そのうち人気が落ちる」と述べ、名誉毀損寸前の騒動に発展したことがある[15]。逆に自分がゲスト出演した際には司会者に「嫌いな人とかいましたか?」と直球で聞くこともある[16]

かつてレギュラー相談員として出演していたNHK総合テレビ『バラエティー生活笑百科』では、長年ホラ吹きキャラクターを売り物にしていた。淡路島大阪城を所有しているといった単純な富豪ホラからしばしばシュールに展開するネタで人気を博したが、隣席の3代目桂南光辻本茂雄、司会の3代目笑福亭仁鶴による突っ込みも重要な要素であったこともあり、他の番組などではそれほどこの芸風を披歴していない。

霊感が強く、怖い話を扱う特別番組やコーナーでは自らが体験した恐怖体験を語ることがある。しかし、本人は霊感があることは嫌だと述べており、普段のトークで心霊体験を語ることは少ない。
タレントとしての活動範囲・スタンス

仕事は基本的に在阪局に絞って行い、在京局やローカル局では滅多に仕事をしない。上沼と同様在阪局に絞って出演していたタレントとしてはやしきたかじんが挙げられるが、上沼の場合はやしきのような「東京嫌い」というわけではなく、芸能界復帰の際に夫・真平と交わした「(仕事をする範囲として)西は姫路、東は京都まで」との約束を守っているためで、これにより本格的な東京進出を断念している[17]。事実、たかじんの生前は在京局の番組での出演は非常に少なく、自身の冠番組が在京局にはネットされなかった。それに対して上沼は、在阪局制作の在京局を含む全国ネット番組には出演しており、回数こそ少ないものの在京局制作番組にゲスト出演したり[注 1]、出演する在阪・在名局共同制作番組で時折行われる名古屋収録に参加することもある。このため、在阪局での仕事がメインではあるものの、東京での知名度は高く、この点においてもたかじんが生前東京での知名度が低かったのとは対照的である(これは『情報ライブ ミヤネ屋』が全国ネット化されるまで、東京での知名度がほとんど無かったフリーアナウンサーの宮根誠司も同様であった)

2014年1月12日放送の『上沼・高田のクギズケ!』では「来世は東京に行きたい」「東京進出をしないのは、大阪の人と結婚したから。(東京に行ったら)別居になるやん。今度は東京の人と結婚したい!」「NHKから『大河ドラマ』の出演打診があったが、東京収録のため断った」「紅白の司会をした後、在京局から11本に及ぶレギュラー番組のオファーがあったが、夫を優先するため全て断った」と語った[18]2005年12月18日ニッポン放送のスペシャルウィークの特別番組『上沼恵美子のニッポン放送初上陸!2005年言いたい放題』で久々の在京ラジオ局への出演を果たす。2006年3月23日には日本テレビで放送の島田紳助松本人志ダウンタウン)が司会の『松紳ゴールデン!』にゲスト出演し、紳助と初共演を果たした。その際、夫の定年を機に「来年引退してハワイに移住する」と発言したが、紳助と松本に説得されて翻意した。

夫・真平からは「自分が定年退職となる時に一緒に仕事を辞めよう」と約束されていたが、真平の定年退職後も仕事を続けている[17]。2014年7月20日放送の『クギズケ!』で「(真平の定年退職時)夫から『一緒にやめようね』って言われて。ちょっと待ってって言いました」「(仕事は)もういいじゃないか、一緒に世界旅行でもしようよという気持ちみたいだったんだけど、あたしはまだ未練があった。コンサートやるって言ったらいい顔はしません」と語っている[19]。ちなみに2021年時点では籍は入れたままだが別居している[20]。別居後には以前から断り続けていた在京局のテレビ出演オファーを積極的に受けるようになり、収録や生出演毎には毎回上京している。

番組に出演する際の衣装にはこだわりを持っており、専属スタイリストを雇って個人で用意している。しかし、1997年2005年確定申告において、経費として申告した衣装代などが経費にはあたらないと指摘され、申告漏れとして追徴課税されている。
音楽・映画関係

中森明菜のファンであり、「関西の第二の後援会長」と公言するほどで、過去には自らファンクラブにも入会したり、中森のコンサート会場に花などを贈っている(一番の後援会長は生前親交のあった友人のやしきたかじん)。中森も1997年4月21日にコンサートのプロモーションを兼ねて上沼のレギュラー番組『快傑えみちゃんねる』にゲスト出演し、初共演を果たしている。また、松田聖子のファンであることも自身の番組内で度々語っている。西城秀樹とは生年月日が同じ事が縁で交友関係があり、毎年誕生日には西城から花を贈られる仲であった[21]


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