上杉氏
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脚注[脚注の使い方]^ 旺文社日本史事典 三訂版『上杉氏』 - コトバンク
^ a b 小田部雄次 2006, p. 324.
^ 「上杉重房」『日本人名大辞典』講談社。https://kotobank.jp/word/上杉重房-33782。 
^ 神保忠昭は儒学者・軍学者として米沢藩に仕えた。
^ 久保田順一「吾妻斎藤氏と岩下領・嶽山領」『戦国上野国衆辞典』(戎光祥出版、2021年)
^ 大崎義隆は、奥州仕置で失領ののち上杉景勝に仕え、2700石を与えられたという(慶長5年(1600年)(長井郡分限帳)。
^ のちに畠山景広の子孫は、米沢藩の重臣(席次2位)となる。また、畠山義真は8歳で米沢藩主となった上杉綱勝を後見した。
^ 天正2年(1574年)または3年と思われる伊勢神宮への寄進状。
^ 前嶋敏、福原圭一、片桐昭彦、森田真一、阿部哲人、竹下多美、今福匡、村石正行、田嶋悠佑、簗瀬大輔、萩原大輔、矢部健太郎著「上杉謙信」(2017年、高志書院刊行)P31-41,52-53
^ 渡邊大門『戦国・織豊期の諸問題』P30-59「越後長尾氏と上杉謙信の閨閥 -「越後長尾殿之次第」の検討を通して - (今福匡著)」(歴史と文化の研究所、2017年)
^ 天正13年(1585年)閏8月1日に秀吉は自ら富山城に入り、越後の上杉景勝に対し会談を申し入れるが、景勝が応じなかったため、同5日富山城を破却した(富山市郷土博物館編「秀吉 越中出陣」)
^ 「大老」は後世の呼称であり、当時は「奉行」「年寄」(『武家事紀』第三十一、「加能越古文書」「毛利家文書」など)であったとする学説・文献もある。
^ 蒲生騒動(大老として利家と景勝が調停)の混乱時のため、前田家中に新川郡の加増と城受け取りを記した文献はあるが(「加賀藩文書」前田育徳会など)、秀吉もしくは豊臣家からの領知判物や朱印状がなく江戸期に問題にされる。この際に、加賀藩に移った直江勝吉(本多政重)が幕府と交渉している。
^ 伊佐早謙『畠山入庵考』(写本:東大史料編纂所蔵)
^ 佐藤家忠は福島を本貫とする地侍(信夫佐藤氏18代)。古川重吉は信濃衆(更級郡塩崎城主・小笠原氏の出身)で不仲だったという説もあるが、現在は西根神社に、信達総鎮守として共に祀られている。
^ 21世紀の現在も維持管理されている。下堰(したぜき)と上堰(うわぜき)の2つの水路があり、灌漑面積は約1,400ha。
^ 一時閉鎖されるが、後に片山一積の私塾を改築し、興譲館と改称して再興した。現山形県立米沢興譲館高等学校
^ 後に上杉治憲により「先聖殿」と改称された
^ 「上杉家御年譜」(米沢温故会) に「元禄五年(1692年)中山御役屋と改称」と記される。
^ 置賜郡の支城のうち高畠城は天領(上杉宗房の代に米沢藩預かり領となり、上杉斉憲の代には米沢藩に戻される)となった。
^ 次代の重房は、能に凝るなど再び浪費・奢侈路線に戻り、財政が悪化した。
^ 米沢市上杉博物館・復元「動く能舞台」
^ 「上杉家御年譜」(米沢温故会)
^ 奥羽越列藩同盟における名目上の(正式な)盟主は仙台藩伊達家だったが、諸事情により指導力を発揮できなかった。
^ 2万石との説あり。
^ のち県庁移転により山形県となる。
^ 第1次府県統合では、まちまちだった一県の大きさを30から40万石程度にまとめる動きがあった。屋代が編入された置賜県は約40万石
^ "Unbeaten Tracks in Japan" 第二巻「北日本旅行記」(Isabella Lucy Bird 1880)
^ 沖縄県の資料・出版物では1500円と3000円の2説があって定まっていない。ただし離任後に賞勲局より、「県への1500円寄付」についての褒状が贈られている。県令の月俸は200円だった。
^ 小田部雄次 2006, p. 329.
^ 「日本の名家・米沢藩」(週刊読売編集部、1987年)
^ 東京大学での博士論文は「Optimum low-thrust multiple rendezvous(低推力による多数回ランデヴーの最適化に関する研究)」
^ 日経BizGate(2016/05/10)など
^ 公益財団法人米沢上杉文化振興財団・役員名簿(平成28年 6月11日現在)
^ 米沢日報「上杉家第17当主上杉邦憲様の孫、紀憲様誕生記念植樹」(置賜日報社)2022年11月8日
^ 黒田基樹『国衆』(平凡社、2022年)116?119ページ
^ 「寛政重修諸家譜」
^  山本英貴著「江戸幕府大目付の研究」
^ 植田真平「山内上杉氏と越後上杉氏」(黒田基樹 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第一一巻 関東管領上杉氏』(戒光祥出版、2013年)ISBN 978-4-86403-084-7
^ 六本木は上杉はじめ青木、一柳、片桐、朽木、高木の6大名の屋敷が存在したことに由来する説あり。
^ 幕府から拝領した屋敷ではなく、自費で調達した屋敷
^ 『明治元年武鑑』より「巻二(拾萬石未満大名) 上杉家」、『上杉家御年譜』米沢温故会(原書房 1977年)

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