上座部仏教
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なお、大乗の語や音写語の摩訶衍は、初期仏教の聖典として伝存する[19][注釈 6]阿含経の漢訳や、部派教典の論蔵の漢訳にもみられる[21][信頼性要検証]。大乗仏教北インドから中央アジアを経て東アジアに広がった。

各部派では、仏説とされるとが伝承され、それらを註釈したが作られた(経蔵律蔵論蔵三蔵[22]。南方上座部の伝える経蔵(パーリ・ニカーヤ)は五部に分かれており、「小部」を除く4つは漢訳の4つの阿含経と一定の対応関係がある[23]大正新脩大藏經では、漢訳の阿含経は阿含部に収載[24]法句経など一部は本縁部他に収蔵)。論蔵 (Abhidhamma-pi?aka) には上座部仏教が受持する7種の論蔵と漢訳された説一切有部の7部の論蔵があるが、両者に共通点がないことから部派仏教時代以降の確立とみられ[25]、論蔵の成立は部派仏教の大きな特徴のひとつである[26]。この時代にはアビダルマ(「ダルマに対して」の意;対法)とは論書を指した[27]。各部派においてそれぞれの論を通じて教義の整備が進められた状況があったと考えられ、部派仏教アビダルマ仏教と呼ぶこともある[26]。なお、中国チベットベトナム朝鮮日本等の地域に伝わったのが大乗仏教で、いわゆる北伝仏教である。
南伝以後

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出典検索?: "上座部仏教" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2017年7月)

南アジアに存在した諸部派のうち、スリランカを本拠地としてインド本土へも進出した「上座部」(Therav?da) を名乗る一派[注釈 7]が、今日に至るまで存続している上座部仏教の源流である[31][注釈 8]。スリランカ上座部は、紀元前3世紀にインドから上座部系の一部派が伝わったことに始まるとされる[13]。スリランカの伝承では、当地に仏教を伝えたのはマウリア朝アショーカ王の師モッガリプッタ・ティッサの弟子にしてアショーカ王の子マヒンダであったという[35]。スリランカ上座部の成立年代は考古学資料等から紀元後3-4世紀と推定される[32]5世紀には、南インドから来島したブッダゴーサが『清浄道論』をはじめとする註釈文献を編纂して上座部の教学を大成し、その後もダンマパーラ等の学匠が南インドで活動していたことから、スリランカ上座部のネットワークが当時の南インドに広がっていた様子がうかがわれる[36]12世紀には、スリランカの国家政策によって当地の上座部三派は大乗を非仏説として斥ける大寺派に一本化され、その結果、大乗仏教スリランカから一掃された[37]

上座部仏教はミャンマータイなど東南アジア方面にも伝播した。南伝仏教という呼称はこの背景に由来する。ミャンマーでは11世紀に上座部のサンガが招来され、13世紀にはタイとカンボジアにもスリランカ上座部が伝来した[38]。その後、大交易時代に成立した東南アジア諸王朝では、王権の主導によって上座部大寺派が主流の宗教となった[39]

スリランカでは16世紀以降、ポルトガル・オランダ・イギリスによる植民地化も一因となり、仏教が衰退した。現在のスリランカの仏教三大宗派であるシャム派(1753年設立)・アマラプラ派(1803年設立)・ラーマンニャ派(1864年設立)は、いずれも18世紀以降にタイやビルマの仏教を介して新たに復興させたものである(スリランカの仏教#伝播・復興)。

上座部仏教の仏典結集は、紀元前1世紀にスリランカで第4結集が(南伝仏教でのカウント。北伝仏教では、2世紀のカニシカ王の時の仏典結集を第4結集とカウントする)、1871年に英国に併合される(1886年)前のビルマで第5結集が、1954年に同じくビルマで第6結集が行われた(結集#近代以降)。
現状
上座部仏教が多数宗教である地域

現在、上座部仏教は、スリランカ、タイ、ミャンマーラオスカンボジアの各国で多数宗教を占める。またベトナム南部に多くの信徒を抱え、インド、バングラデシュマレーシアインドネシアにも少数派のコミュニティが存在する。中国の雲南省・貴州省などに分布するタイ系の諸民族の間でも信仰されている。

これらの地域では、上座部仏教は人びとに精神的支柱を提供し、また仏教的理念にもとづく人権擁護や社会的和解を模索する運動も見られる[40]が、その一方で、さまざまな問題もある。

スリランカでは、シンハラ仏教ナショナリズムの行き過ぎによって政治と経済が混乱し、2022年には大統領が国外へ逃亡する事態となった[41]。2012年に仏教僧が設立したボドゥ・バラ・セナ(BBS)は仏教過激派グループで、反イスラム暴動を扇動し、死傷者を出したと告発されている(仏教と暴力#スリランカ)。またシャム派はゴイガマ・カースト(農民)だけを入団させるなど[42]、スリランカの上座部仏教は身分差別的なカースト制度と今も密接に結びついている。

タイでは、僧侶の腐敗事件などが続発した結果、サンガの権威は大きく動揺し、上座部仏教の社会的影響力も低下が顕著であり、お守りに頼ったり現世利益のみを求める行動がさかんとなっている[40]。近年も、僧侶による汚職、殺人、薬物取引に関連する逮捕や重大なスキャンダルが立て続けに起こっている[43]。1970年代には、プラ・キティウットーのような民族主義的な仏教僧が、共産主義者を殺しても仏教の戒律に違反しないと主張していた[44](仏教と暴力#タイ)。

ミャンマーでも、民族主義的な僧侶が、民衆の暴力行為を扇動してきた(仏教と暴力#ミャンマー)。


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