413年から478年まで、倭国の倭の五王は、東晋と宋に朝貢し、朝鮮半島南部での倭国の支配権の国際的承認を求めた[36]。438年までに倭王讃を継承した弟の珍は「使持節、都督倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王」を自称し[37]、同年4月に宋の文帝は珍を「安東将軍倭国王」とした[38]。