三韓征伐
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^ 儺はナ、ダとも読む。 ⇒[4]
^ 日本書紀(二)、岩波文庫,131頁
^ 初等科国史1943年版上巻
^風土記日本古典文学大系2,秋本吉郎校注、岩波書店,1958年(1991年第35版),482-483頁。
^ 日本書紀(二)、岩波文庫,2001年,173頁
^ 以上、日本書紀神功62年条百済記からの注釈
^ a b c d 井上光貞『日本の歴史1 神話から歴史へ』中公文庫、2007年,278-279頁,「百済記」については特に382-384頁
^日本思想大系』「寺社縁起」の巻に収録
^ 村井(1999)
^ 『旧唐書』百済伝
^ 辰韓在馬韓之東、自言秦之亡人避役入韓、馬韓割其東界以居之、立城柵、言語有類秦人、由是或謂之為秦韓。(辰韓は馬韓の東に在り、苦役を避けて韓にやって秦の逃亡者で、馬韓が東界の地を割譲したので、ここに居住したのだと自称している。城柵を立て、言語は秦人に類似しているので、あるいはこれを秦韓とも言う。)
^ 「新羅者、其先本辰韓種也。地在高麗東南、居漢時樂浪地。辰韓亦曰秦韓。相傳言秦世亡人避役來適、馬韓割其東界以居之、以秦人、故名之曰秦韓。其言語名物、有似中國人。(新羅とは、その先は元の辰韓の苗裔なり。領地は高麗の東南に在り、前漢時代の楽浪郡の故地に居を置く。辰韓または秦韓ともいう。相伝では、秦時代に苦役を避けて到来した逃亡者であり、馬韓が東界を割譲し、ここに秦人を居住させた故に名を秦韓と言う。その言語や名称は中国人に似ている。)」『北史』新羅伝
^ 水谷千秋『謎の渡来人秦氏』2009年、文春新書 36頁
^ 東北工程:百済・新羅も「中国史の一部」=中国社会科学院朝鮮日報 2007年6月4日。東北工程参照。
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah 『三国史記』第1巻 金富軾撰 井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫372〉、1980年。新羅本紀
^ a b c d e f g h i j k l m n o 岩波文庫「日本書紀」二(1994年、2001年第八版)。
^ 上垣外 2013, p. 70.ほか但馬国、肥後国玉名郡とも比定される
^ 上垣外 2013, p. 73.
^ 『三国史記』第1巻 金富軾撰 井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫372〉、1980年、訳注
^日本書紀』巻九・神功皇后摂政前紀。岩波文庫「日本書紀」(二),151頁注釈,(1994年、2001年第八版)。岩波文庫版『日本書紀』によれば、「波沙」は婆娑尼師今のことで、「尼師今」は王号で、すなわち「波沙」と「婆娑」は同一かとしている
^ 李成市 『東アジア文化圏の形成』 山川出版社〈世界史リブレット 7〉、2000年
^ 李成市『東アジア文化圏の形成』、山川出版社<世界史リブレット17>、2000年。『朝鮮史』 武田幸男編、山川出版社<新版世界各国史2>、2000。および ⇒学習院大学東洋文化研究所 Web版『学東叢刊3 蔚珍鳳坪碑』参照
^ 景初2年(238年)記事。井上訳注1980、p.61.註9
^ 秦氏参照。黒板勝美,国史大系編修会編 『国史大系. 第1巻 上』 吉川弘文館、1966年。p276 また、秦の遺民説は、『後漢書』辰韓伝、『三国志魏書』辰韓伝、晋書に記述が存在している。
^ 一礼部を「一利郡」と解して慶尚北道星州郡星州面に比定する説がある。(→井上訳注1980 p.66)
^ 伊西古国とも。慶尚北道清道郡とも。
^ 新羅本紀・基臨尼師今10年(307年)条に「復国号新羅。」とあるが、基臨尼師今までの新羅本紀においては、始祖赫居世居西干即位紀において「徐那伐」と号し(紀元前57年)、第4代脱解尼師今金閼智を得たとき(64年)に「鶏林」と号したことが見える。第17代奈勿尼師今の時代に前秦に朝貢してからは「新羅」が国際的に通用する国号となったと見られているが、第22代智証麻立干の時代にも国号を「新羅」と定めたという記事が見える。
^ ただし、急利はこの直前の訖解尼師今2年(311年)1月に阿?の位に上がると同時に政務と軍事の統括を任されている。王の即位後すぐに有力者に政務と軍事とを委任する場合には伊伐?(1等官)の官位に引き上げられることが多い。→儒礼尼師今2年(285年)2月条、味鄒尼師今2年(263年)正月条など。また、急利は314年1月に伊?(2等官)に引き上げられている。
^三国史記』新羅本紀 第十六代 訖解尼師今
^ 大平裕はこの年の侵攻を神功皇后による新羅征討に相当するとした。『日本古代史 正解』講談社,2009年,184頁。
^ a b c d e f g 好太王好太王碑参照
^ 『三国史記』「百済本紀」
^ 平林章仁『神々と肉食の古代史』吉川弘文館、2007年,44頁
^ 『宋書』倭国伝

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