三陸はるか沖地震
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^ 内訳は後述の八戸市のパチンコ店の2名と五戸町で地震によるショック死1名(『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)72頁「本震及び余震の被害状況(青森県)」より)
^ 『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)「被害状況 建物」の4頁?7頁より。これに該当部分の写真が載っている。
^ 『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)「被害状況 道」の52ページより。これに、地区名と崩落現場の写真が載っている。
^ 『東奥年鑑1996年版』「おもなニュース写真」の巻頭ページから。
^ 現在の青い森鉄道線・八戸?陸奥市川間
^ 『1994年三陸はるか沖地震災害調査報告書』(三陸はるか沖が災害調査委員会・1995年7月)44頁「表-1.3 平成6年(1994年12月28日)三陸はるか沖地震の被害状況 13 交通関係 (2)鉄道関係 @JR関係」より
^ 当時、東北新幹線盛岡駅までで、青森駅方面は盛岡駅から特急はつかり」に乗り継いでいた。
^ その急行八甲田は、約11時間遅れの29日8時25分に八戸駅を発車した(東奥日報1994年12月30日付朝刊17面『故郷への道遠く』「県内、帰省客の足大混乱」記事より)。
^ 当時、田沢湖線は秋田新幹線改軌工事前で、在来線列車が通行可能だった。
^ 12月29日?31日のデーリー東北、東奥日報、岩手日報の各社紙面。(八戸市立図書館にて閲覧)
^ 『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)から。
^ 「烈震から一夜 ツメ痕無残」『デーリー東北』1994年12月30日朝刊14面
^ 『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)「資料編」69ページより。
^ 3月11日 岩手県沖の地震 - 近地強震波形による震源過程解析(暫定)? 気象庁 (PDF)

関連項目

三陸沖地震

三陸沖北部地震

三陸沖地震 (2011年3月)

東北地方太平洋沖地震


茨城県北部地震(2016年) - 年末の帰省時期に発生。

外部リンク

三陸はるか沖地震 青森県防災ホームページ
- ウェイバックマシン(2015年6月11日アーカイブ分)

地震予知連絡会 会報 第54巻

徴小地震観測網による1994年三陸はるか沖地震の余震活動(東北大理) (PDF)

海底地震観測による1994年三陸はるか沖地震の余震分布(北大理)(東北大理)(東大理)(震研) (PDF)

GPS連続観測により推定された1994年三陸はるか沖地震の断層運動モデル(東北大理) (PDF)


橋詰豊, 塩井幸武, 毛呂眞、三陸はるか沖地震における被害と地盤特性 『土木学会論文集』 2001年 2001巻 694号 p.117-130, doi:10.2208/jscej.2001.694_117










1885年以降に日本で発生した主な地震

 1885年 - 1899年

1885年 - 1889年

熊本(1889年、M6.3)

1890年 - 1899年

濃尾(1891年、M8.0)

能登(1892年、M6.4)

色丹島沖(1893年、M7.7)

根室半島沖(1894年、M7.9)

明治東京(1894年、M7.0)

庄内(1894年、M7.0)

霞ヶ浦(1895年、M7.2)

茨城県沖(1896年、M7.3)

明治三陸(1896年、M8.5)

陸羽(1896年、M7.2)

宮城県沖(1897年、M7.4)

三陸沖(1897年、M7.7)

宮城県沖(1898年、M7.2)

多良間島沖(1898年、M7.0)

紀伊大和(1899年、M7.0)

日向灘(1899年、M7.1)



 1900年 - 1949年

1900年 - 1909年

宮城県北部(1900年、M7.0)

奄美大島沖(1901年、M7.3)

青森県東方沖(1901年、M7.4)

青森県三八上北地方(1902年、M7.0)

芸予(1905年、M7.2)

福島県沖(1905年、M7.1)

熊野灘(1906年、M7.5)

房総沖(1909年、M7.5)

江濃(1909年、M6.8)

沖縄(1909年、M6.2)

宮崎県西部(1909年、M7.6)

1910年 - 1919年

喜界島(1911年、M8.0)

日高沖(1913年、M7.0)

桜島(1914年、M7.1)

秋田仙北(1914年、M7.1)

石垣島北西沖(1915年、M7.4)

十勝沖(1915年、M7.0)

宮城県沖(1915年、M7.5)

明石海峡(1916年、M6.1)

静岡(1917年、M6.3)

択捉島沖(1918年、M8.0)

大町(1918年、M6.1+M6.5))

1920年 - 1929年

龍ヶ崎(1921年、M7.0)

浦賀水道(1922年、M6.8)

島原(1922年、M6.9)

茨城県沖(1923年、M7.1)

九州地方南東沖(1923年、M7.3)

大正関東関東大震災)(1923年、M7.9)

北海道東方沖(1924年、M7.5)

茨城県沖(1924年、M7.2)

網走沖(1924年、M7.0)

北但馬(1925年、M6.7)

沖縄本島北西沖(1926年、M7.0)

宮古島近海(1926年、M7.0)

北丹後(1927年、M7.3)

岩手県沖(1928年、M7.0)

1930年 - 1939年

大聖寺(1930年、M6.3)

北伊豆(1930年、M7.3)

三陸沖(1931年、M7.2)

西埼玉(1931年、M6.9)

日向灘(1931年、M7.1)

昭和三陸(1933年、M8.1)

宮城県沖(1933年、M7.1)

七尾湾(1933年、M6.0)


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