三陸はるか沖地震
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復旧は12月31日22時46分[18]と比較的早かったり、八戸 - 青森間ではバスによる代行輸送が実施されたものの、年末の帰省時期[19]と重なったため、帰省客など多くの乗客に影響が出た。また、地震発生の直前には上野行きの臨時列車急行八甲田が当該箇所を通過しているが、地震発生時は八戸駅停車中であったため地震の影響による大惨事を免れていた[20]。当時は寝台特急「はくつる」・「北斗星」などの首都圏と青森・北海道方面を結ぶ寝台列車も運行されていたが、これらは盛岡以北は田沢湖線[21]奥羽本線に迂回して運行された[22]

八戸市など三八上北地方では県道や市町村道などが崩落・陥没したり亀裂が発生した所が多数発生した[23]

百石町(当時)に設置されている自由の女神像は奇しくも、設置日から4年後の同じ日に腕が損壊した[24]

102ヵ所の道路と87ヵ所の港湾漁港が被災した[4]

約9万6,000戸が停電したほか、約4万2,000戸が断水した[4]

法的措置

激甚災害法適用。激甚災害法は、1995年1月27日に閣議決定され、同年2月1日に政令交付された[25]

その後

20日後に発生した
兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)における神戸も本地震の八戸と同じく震度6と発表されたが、被害の規模に大きな差があり、当時8段階に分かれていた気象庁震度階級が翌年10段階に改正されるきっかけとなった。

建築物の応急危険度判定が初めて実施された。

2001年の気象庁マグニチュードの改定によって、地震の規模がMj 7.6と改められた(改定前は7.5)。

2011年3月11日15時08分に当地震の震源域南隣でM 7.4(Mw 7.4)の地震(東北地方太平洋沖地震の余震)が発生した。[26]

出典

平成6年(1994年)三陸はるか沖地震」(12月28日,M7.5)(気象庁)
(PDF) 地震予知連絡会 会報 第54巻

平成6年(1994年)三陸はるか沖地震の概要 (PDF) 気象庁地震火山部・札幌管区気象台・仙台管区気象台・東京管区気象台 験震時報第64巻 pp.23-166

『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)65頁「三陸はるか沖地震に関する警報・注意報・情報(青森地方気象台発表)」から。

脚注^ a b 気象庁「震度データベース検索」
^ a b c 永井 理子、菊池 正幸、山中 佳子「三陸沖における再来大地震の震源過程の比較研究 ―1968年十勝沖地震と1994年三陸はるか沖地震の比較―」『地震 第2輯』第54巻第2号、2001年、267-280頁、doi:10.4294/zisin1948.54.2_267、2019年6月25日閲覧。 
^ a b “M 7.8 - off the east coast of Honshu, Japan”. アメリカ地質調査所 (2014年11月7日). 2019年6月25日閲覧。
^ a b c d 『三陸はるか沖地震』 - コトバンク
^ 気象庁が命名した気象及び地震火山現象
^ 加藤研一, 武村雅之:強震記録の継続時間から推定される1994年三陸はるか沖地震の破壊伝播特性 『地震 第2輯』 1996年 49巻 1号 p.75-83, doi:10.4294/zisin1948.49.1_75
^ 松本浩幸, 三ヶ田均, 大町達夫 ほか、「ゆっくりとした断層破壊による地震津波について 『海岸工学論文集』 2004年 51巻 p.281-285, doi:10.2208/proce1989.51.281
^地震発生の長期的予測における地震空白域と地震活動静穏化現象の意義 東北大学大学院理学研究科 (PDF)
^ 『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)65頁「三陸はるか沖地震に関する警報・注意報・情報(青森地方気象台発表)」から参照。
^ 1995年1月6日の東奥日報朝刊より(八戸市立図書館にて閲覧)。
^ 第113回地震予知連絡会(1995年2月20日)議事概要 地震予知連絡会
^ 『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)65頁「三陸はるか沖地震に関する警報・注意報・情報(青森地方気象台発表)」
^ 内訳は後述の八戸市のパチンコ店の2名と五戸町で地震によるショック死1名(『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)72頁「本震及び余震の被害状況(青森県)」より)
^ 『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)「被害状況 建物」の4頁?7頁より。これに該当部分の写真が載っている。
^ 『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)「被害状況 道」の52ページより。これに、地区名と崩落現場の写真が載っている。
^ 『東奥年鑑1996年版』「おもなニュース写真」の巻頭ページから。
^ 現在の青い森鉄道線・八戸?陸奥市川間
^ 『1994年三陸はるか沖地震災害調査報告書』(三陸はるか沖が災害調査委員会・1995年7月)44頁「表-1.3 平成6年(1994年12月28日)三陸はるか沖地震の被害状況 13 交通関係 (2)鉄道関係 @JR関係」より
^ 当時、東北新幹線盛岡駅までで、青森駅方面は盛岡駅から特急はつかり」に乗り継いでいた。
^ その急行八甲田は、約11時間遅れの29日8時25分に八戸駅を発車した(東奥日報1994年12月30日付朝刊17面『故郷への道遠く』「県内、帰省客の足大混乱」記事より)。
^ 当時、田沢湖線は秋田新幹線改軌工事前で、在来線列車が通行可能だった。
^ 12月29日?31日のデーリー東北、東奥日報、岩手日報の各社紙面。(八戸市立図書館にて閲覧)
^ 『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)から。
^ 「烈震から一夜 ツメ痕無残」『デーリー東北』1994年12月30日朝刊14面
^ 『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)「資料編」69ページより。
^ 3月11日 岩手県沖の地震 - 近地強震波形による震源過程解析(暫定)? 気象庁 (PDF)

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