江戸時代に置かれた藩には伊勢国には、桑名藩、長島藩、伊勢亀山藩、神戸藩、菰野藩、久居藩、津藩、志摩国の鳥羽藩、津藩の支城の伊賀上野城、津藩の一族の名張陣屋、紀州藩の支城の田丸城、松阪城がある。
近代・現代
度会府設置
1868年8月23日(慶応4年7月6日) - 度会府が設置される
1869年7月25日 - 10月24日(明治2年6月17日 - 9月20日) - 版籍奉還により桑名藩・亀山藩・長島藩・神戸藩・菰野藩・津藩・久居藩・鳥羽藩の8藩が設置される
1869年8月24日(明治2年7月17日) - 度会府が度会県に改称
1871年8月29日(明治4年7月14日) - 廃藩置県により桑名県・亀山県・長島県・神戸県・菰野県・津県・久居県・鳥羽県の8県が設置される
1872年1月2日(明治4年11月22日) - 第1次府県統合により安濃津県(桑名県・亀山県・長島県・神戸県・菰野県・津県、安濃郡と津県に由来)と度会県(久居県・鳥羽県・度会県)に統合される。安濃津県は県庁を安濃郡津大門町(現在の津市大門)、度会県は県庁を度会郡山田岩淵町箕曲(現在の伊勢市岩渕二丁目、近鉄宇治山田駅前)に置いた。
1872年3月17日(明治5年4月24日) - 安濃津県は、倒幕の論功行賞に不満を持つ旧津藩士らの住む県南端の安濃津から県中央の三重郡四日市の四日市陣屋(現在の四日市市立中部西小学校)に県庁を移設し、郡名を取って三重県へ改称する
1873年(明治6年)12月10日 - 三重県庁舎が手狭となり、かつ、度会県との合併を見越して、県庁を安濃津へ戻す。県名はそのままであった。そのことについては1875年(明治8年)に「他郡ノ称ヲ以テ県名トナスハ則名ノ正シキモノニ非ス」と県名改称を申し立てる者が現れたが、他県にも類似の問題があり、そのままになった[14]。
三重県発足
1876年(明治9年)4月18日 - 第2次府県統合により三重県と度会県が合併して、現在の三重県となった。初代県令(知事)は岩村定高(佐賀県士族)であった。
1876年(明治9年)12月 - 1873年(明治6年)7月より行われた地租改正に、農民が反対する地租改正反対一揆(伊勢暴動)が発生する。
1878年(明治11年)1月17日 - 伊勢新聞創刊。
1887年(明治20年) - 木曽三川の分流工事が着工。
1888年(明治21年) - 四日市市に関西鉄道株式会社が設立。木曽三川の橋の建設が開始。
1894年(明治27年)7月5日 - 関西鉄道の四日市?桑名仮停車場間が開通。東海道本線の草津駅までが繋がる。
1895年(明治28年)5月24日 - 関西鉄道の桑名仮停車場?桑名間が延伸。名古屋?前ヶ須(弥富)間が開通。
1895年(明治28年)11月7日 - 関西鉄道の桑名?前ケ須(弥富)間が開通。初めて愛知県へ陸上移動することが可能となった。
1900年(明治33年)4月22日 - 木曽三川の分流工事の成工式が行われた。
1925年(大正14年)6月1日 - NHK大阪放送局が仮放送を開始。三重県でラジオの聴取が始まる。
1925年(大正14年)7月15日 - NHK名古屋放送局がラジオ第一放送を開始。
1929年(昭和4年)1月30日 - 伊勢電気鉄道(現在の近畿日本鉄道)により四日市・桑名間が開通。
1930年 - 1932年(昭和5年及び昭和7年)大阪電気軌道は桜井駅 - 名張駅 - 参急中川駅(現・伊勢中川駅) - 宇治山田駅間(本線、現・近鉄大阪線・近鉄山田線)および、中川駅 - 津駅間(津支線、現・近鉄名古屋線の一部)を開業。
1932年(昭和7年) - 大阪電気軌道と参宮急行電鉄が、大阪上本町駅 - 宇治山田駅を2時間1分で走破する直通特急電車の運転開始。
1933年(昭和8年)11月8日 - 現在の桑名市長島町と愛知県弥富市との間の木曽川に尾張大橋が開通し、供用を開始。
1934年(昭和9年) - 現在の桑名市長島町と桑名市中心部との間の長良川と揖斐川に伊勢大橋が開通し供用を開始。これにより徒歩や自動車によって愛知県へ移動することが可能となった。
1938年(昭和13年)6月26日 - 関西急行電鉄(現在の近鉄名古屋線)により桑名?関急名古屋間が開通。
1944年(昭和19年)10月7日 - 度会郡を中心に集中豪雨。死者183人、行方不明者126人などの被害* 1943年(昭和18年)3月 - 七川村の山火事が三尾川村へ延焼。周辺町村を合わせた焼失面積は約29.8キロ平方メートル[15]。
1944年(昭和19年)12月7日 - 尾鷲市沖約20kmを震源とする東南海地震が発生して、尾鷲市や熊野灘沿岸一帯が津波で壊滅的な被害を受ける。死者・行方不明者は全部で推定1223人であった。
1945年(昭和20年)1月14日、7月28日 - アメリカ軍が宇治山田市(現在の伊勢市)へ空襲(宇治山田空襲)。死者192人(7月28日)。
1945年(昭和20年)6月18日 - アメリカ軍が四日市市へ空襲(四日市空襲)。死者736人。市街地のほとんどが廃墟になる。
1945年(昭和20年)7月24日 - 7月28日 - アメリカ軍が津市へ空襲(津大空襲)。死者1,239人。旧市街や工場地帯が焼失。
1951年(昭和26年)9月1日 - 中部日本放送(略称CBC、現在のCBCラジオ)と新日本放送(略称NJB、後の毎日放送。現在のMBSラジオ)が本放送を開始。三重県で民間放送によるラジオの聴取が始まる。
1953年(昭和28年)10月 - ラジオ三重が設立、12月にコールサインJOXR、略称RMC、周波数860kc(kHzと同義)・出力1kWで津市から本放送を開始。
1954年(昭和29年)3月1日 - NHK名古屋放送局とNHK大阪放送局がテレビ放送を開始。三重県北中部でテレビの視聴が始まる。
1955年(昭和30年)- 三重県立四日市高等学校が第37回全国高等学校野球選手権大会で初出場初優勝。
1956年(昭和31年)12月1日 - 中部日本放送テレビ(現在のCBCテレビ)と大阪テレビ放送(略称OTV、現在の朝日放送テレビ)が本放送を開始。三重県北中部で民間放送によるテレビの視聴が始まる。
1957年(昭和32年)11月 - ラジオ三重が 近畿東海放送(略称KTB)に社名変更。
1959年(昭和34年)4月29日 - 御在所ロープウェイが開業。
1959年(昭和34年)7月15日 - 紀勢本線が全通。
1959年(昭和34年)11月20日 - 近畿東海放送が岐阜県のラジオ東海(略称RTC)と合併し、名古屋市に東海ラジオ放送を設立。