三重テレビ放送
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^ 同様に岐阜放送も親局の上加納山送信所から南側に濃尾平野が広がるが、その方向への出力を制限しており、愛知県内での受信範囲は狭い。
^ ニュース番組は原則としてネット受けせず、自主制作を行っている。県内には津市にしか活動拠点がないため(かつては四日市市松阪市に支社があったが閉鎖)、ニュースの内容によっては取材が行き届かず、取材映像がない場合がある。ただし、2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件の発生時に『ワールドビジネスサテライト』を臨時に同時ネットしたほか、昭和天皇崩御の折にも報道特番を同時ネットした。
^ かつて同局は、中日新聞社とともに三重テレビの株式を第三者名義で保有するなどして、マスメディア集中排除原則の制限を超えて違法に出資していた。
^ 開局当初から1980年代中頃までは、番組のソフトが不充分だったため、平日の放送は夕方の17時20分頃から開始していた。その後、テレビ文字ニュース中日新聞配給)の開始により12時前に繰り上げられた。
^ 中継車のナンバーは、リモコンキーIDである「7」にちなんで「・・・7」である。
^ 音楽専門チャンネルのMusic TelevisionMTVジャパンと同じ名称のためか、開局以来制作社名のロゴ表記には「三重テレビ放送」を使用することが多かったとされる。ただし、MTVジャパン進出後の1990年代初期にも「MTV」を使用した番組がみられた(表記の書体は一定でなかった)。デジタル放送開始後は順次「MTV」の名称に統一している。なお、それまでは1979年(昭和54年)からアナログ放送のチャンネルを示す「”33”」をあしらったマークを使用していた。
^ 45周年と三重テレビの間には改行あり、三重テレビの表記は大きめになっている。
^ 近隣には、レディオキューブFM三重三重県立津商業高等学校がある。
^ その代わりに、テレビ愛知の番組表は左下広告左側のハーフサイズ(愛知県内向けではフルサイズ)になり、岐阜放送(ぎふチャン)の番組表(岐阜・愛知・三重県内向けもハーフサイズで伊賀・紀州地域は非掲載)がその右側に並ぶ。
^ かつては東海ラジオの東京・大阪各支社も入居していた(現在東京支社は、東京都港区赤坂の赤坂MYビルに移転、大阪支社は廃止)。
^ 東海テレビ東京支社と、東京新聞 (中日新聞東京本社) も入居している[注釈 11]
^ 中日新聞社大阪営業支社も入居している。
^ フジテレビ関西テレビテレビ静岡長野放送富山テレビ石川テレビ福井テレビの各名古屋支社・支局も入居している。
^ a b c 三重テレビ放送 代表取締役社長
^ a b 三重テレビ放送 監査役
^ 三重テレビ放送 非常勤取締役
^ 三重エフエム放送 代表取締役社長
^ 制作はNHKが主導したが、三重テレビのスタジオから番組や取り組みを紹介したり、司会や中継の進行を両局のアナウンサーが共同で務めた。番組はNHK名古屋岐阜の各局でも放送され、実質的には東海3県で放送されたことになる。当局では、アナログでもレターボックスを付加して16:9のワイドサイズで放送された(NHKのデジタルではハイビジョン放送、アナログではサイドカット)。
^ 制作協力:神宮司庁東海テレビプロダクション
^ 第3回大会同様に、生中継と当日夜のダイジェスト番組を放送するという形は、今回も実施された。
^ 中日新聞三重版には編成を紹介する記事が紹介されたほか、7月16日放送の『新・週刊フジテレビ批評』(関東ローカル)でも『”地デジ化”独立UHF局の挑戦』と題して、三重テレビ役員・職員のインタビューを交えながら、マルチ編成に至る経緯や苦悩などが紹介されるなど、話題を集めた。
^ 東海3県のNHKがID「3」を使用したため、関東圏の独立局の大半や関西のサンテレビびわ湖放送といった独立局が使用し、かつアナログの33chにも通じるリモコンキーID「3」は使えず、原則としてテレビ東京系列局の大半が使用するリモコンキーID「7」を獲得した。この影響で、テレビ東京系列局であるテレビ愛知のリモコンキーIDは「10」となっている。アナログ時代では、中京圏でVHFの7chは使われていなかったが殆どの世帯がチャンネルポジション7chには中京テレビ放送を設定していた。
^ 尾鷲地区を除く
^ a b シーテックがかつて展開していたケーブルテレビ局も一部含む
^ 1970年読売ジャイアンツが中日スタヂアム(現・ナゴヤ球場)で、中日を相手に当時セ・リーグ新記録となる6年連続優勝を決めた試合を中継したことがある(当時、在名各局では既に同年のテレビ中継を終えていたため、三重テレビが回線を引いて放送。名古屋市などの愛知県の各地で、巨人の優勝決定試合を見るためにUHFチューナー内蔵のカラーテレビや、旧来のテレビに接続するためのUHFコンバーターの売行きが伸びたり(白黒テレビはカラーテレビの普及およびUHF放送開始後に発売された一部の機種を除いてVHFチャンネルしか視聴できず、三重テレビを受信できなかった)、UHFアンテナの工事が殺到したりしたという逸話もある。
^ 試合終了から次の試合が始まるまでの間は高校案内のVTRが放送された後、過去の三重大会のハイライト(79回大会から前年まで)を流している。かつてはセンターバックスクリーンなどの球場カメラに切り替え、音楽に乗せて次に放送する試合の案内をテロップで表示していた
^ 県大会決勝の解説は、県内有名高校・大学などの現役指導者やOB、中西永輔など県出身のJリーガー経験者。また全国大会の三重県代表校の試合中継では、準々決勝までは三重テレビのアナウンサーなどが実況する。
^ ほとんどCMを放送しない代わりに、大会協賛企業をナレーションとテロップによる紹介する方式をとっている。
^ 1990年4月より名古屋けいばで三重テレビの冠レースが開催されることにより定期放送(ダイナミック競馬)がスタートした。現在は三重テレビの冠レースは「新春盃」であり、稀ではあるが重賞レースのみ中継することがある。
^ UHFアニメなど。完パケ納品の番組においてはこの限りではない(『鍵姫物語 永久アリス輪舞曲』など。
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