性格は滑稽家で誰が付けたか『シャモジ』という渾名があった。師・3代目金馬が東宝名人会専属だったので定席の寄席には出演できなかったため目立った活躍は見られなかった。銀馬の名は1952年(昭和27年)の名簿に確認できる。同年、東宝名人会は常打ち会場(日劇小劇場)明け渡しに伴い一時活動停止するが、その際に銀馬は廃業。その後は子息が小金井ブラザーズという曲芸の芸人になったのでそのマネージャーをしていた[1]。銀馬は以後も東京に在住しつづけ、1976年(昭和51年)7月29日死去したと橘左近が明かした。
参考文献
『落語界』12号 p.20
諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
古今東西噺家紳士録
脚注^ a b 三遊亭金馬『噺家生活六十五年金馬のいななき』朝日新聞社、2004年、82-84頁。
^ 新作落語『犬ひろい』の別題。