三遊亭圓朝
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安政5年(1858年):鳴物入り道具仕立て芝居噺で旗揚げ。

元治元年(1864年):両国垢離場(こりば)の「昼席」で真打披露。

明治元年(1868年):長子の朝太郎誕生。母は御徒町住の同朋倉田元庵の娘、お里。

明治5年(1872年):道具仕立て芝居噺から素噺に転向[2]

明治8年(1875年):六代目 桂文治と共に「落語睦連」の相談役に就任。

明治10年(1877年):陸奥宗光の父で国学者伊達千広による禅学講義の席で知己となった高橋泥舟により、義弟の山岡鉄舟を紹介される。

明治13年(1880年9月24日:山岡鉄舟の侍医である千葉立造の新居披露宴の席で、同席していた天龍寺の滴水和尚から「無舌居士」の道号を授かる[3]

明治19年(1886年1月8日井上馨の共をして身延山参詣。また井上の北海道視察(8月4日より9月17日)にも同行した。

明治20年(1887年4月26日:井上馨邸(八窓庵茶室開き)での天覧歌舞伎に招かれ、また井上の興津の別荘にも益田孝らと共に招かれている。

明治22年(1889年

4月:向島木母寺境内に三遊派一門43名を集め、三遊塚を建立[4]初代および二代目 三遊亭圓生を追善記念する。

6月30日:各界人士を集めて、初代・二代目 圓生の追善供養のための大施餓鬼会を施行し、一門の43名が小噺を披露し、記念誌を配布した。

朗月散史編『三遊亭圓朝子の傳』が三友舎から出版される。圓朝自身の口述に基づく自伝。


明治24年(1891年)6月:席亭との不和で寄席の出演を退き、新聞紙上での速記のみに明け暮れる。

明治25年(1892年):病のために廃業。

明治26年(1893年)1月:渋沢栄一の共をして、静岡の徳川慶喜の邸を訪問[5]

明治29年(1896年)11月:静岡興行の際に、ふたたび徳川慶喜の邸をおとずれ、「講談」を演じた[6]

明治30年(1897年)11月:弟子の勧めで高座に復帰。

明治32年(1899年

9月 発病。

10月 木原店で演じた『牡丹燈籠』が最後の高座となる。

不行跡により朝太郎を廃嫡処分とする。


明治33年(1900年8月11日午前2時:死去。病名は「進行性麻痺」と「続発性脳髄炎」。法名は「三遊亭圓朝無舌居士」。墓は台東区谷中五丁目4番7号の臨済宗国泰寺派全生庵にあり、東京都指定旧跡となっている。

圓朝による新作

圓朝による新作落語には名作佳作とされる作品も多く、多数が現代まで継承されている。特に『死神』は尺が短いこともあって、多くの演者が演じている。圓朝は江戸時代以来の落語を大成したとされ、彼の作による落語は「古典落語」の代表とされる(現在では大正以降の作品が「新作落語」に分類される)。

人情噺では、『粟田口霑笛竹』や『敵討札所の霊験』、『芝浜(異説あり)』、怪談では、『牡丹燈籠』『真景累ヶ淵』『怪談乳房榎』などを創作した。また海外文学作品の翻案には『死神』『名人長二(発表:1887年。原作:モーパッサン「親殺し」)』『錦の舞衣(発表:1891年。原作:ヴィクトリアン・サルドゥ「トスカ」。後にプッチーニにより1900年にオペラ化される『トスカ』の原作)』がある。奇談としては『鰍沢』(三題話)などもあり、非常にレパートリーが広い。
刊行著作

『圓朝全集』全13巻 (鈴木行三校訂、
春陽堂刊、復刻版世界文庫、1963年)

『三遊亭円朝全集』全7巻・別巻1 (角川書店、1975年-1976年)

『円朝全集』全13巻・別巻2 (岩波書店、2012年-2016年)

『三遊亭圓朝集』 興津要編 <明治文学全集10>(筑摩書房、1965年、新装復刊2013年)
怪談牡丹燈籠、圓朝叢談鹽原多助一代記、英國孝子之傳、眞景累ヶ淵、名人長二を収む。

『三遊亭円朝』<明治の文学 第3巻>(坪内祐三森まゆみ編、筑摩書房、2001年)
業平文治漂流奇談(抄)、闇夜の梅、真景累ヶ淵(抄)、梅若七兵衛、文七元結、指物師名人長二、落語及一席物、小咄、和洋小噺、三題噺 を収む。

『円朝怪談集 怪談牡丹灯籠 怪談乳房榎』(筑摩叢書、1967年、復刊1985年/ちくま文庫、1998年) 安藤鶴夫解説

『怪談牡丹灯籠』(岩波文庫、1955年、改版2002年、奥野信太郎解説、横山泰子・新版校注)

『真景累ヶ淵』(岩波文庫、1956年、改版2007年、久保田万太郎解説)

塩原多助一代記』(岩波文庫、1957年、復刊2015年ほか、正岡容解説)

『真景累ヶ淵』 中公クラシックス、2007年。小池章太郎藤井宗哲校注

真景累ヶ淵角川ソフィア文庫、2018年。小松和彦解説

『怪談牡丹燈籠・怪談乳房榎』 角川ソフィア文庫、2018年。堤邦彦解説

『三遊亭円朝探偵小説選』 <論創ミステリ叢書> 論創社、2009年

圓朝落語の歌舞伎化

外題不詳:明治12年(1879年)4月。東京・
春木座。内容は「業平文治もの」。円朝ものの劇化作品の嚆矢とされる。評判は不詳。

『粟田口霑一節裁』:明治22年(1889念)11月。東京・春木座。

塩原多助一代記』:明治25年(1892年)1月。東京・歌舞伎座五代目 尾上菊五郎の主演で、宣伝の効果もあり大評判となり、『塩原多助』が修身国定教科書に登場するきっかけとなった。実在の人物は「塩原太助」であるが、修身教科書で「塩原多助」となっているのは円朝作品の影響の証左とされる。

怪異談牡丹燈籠』:明治25年(1892年)7月。東京・歌舞伎座。同じく五代目 菊五郎の主演で、これも奇抜な宣伝が奏功し大当たりとなり、「夏は怪談物」ということのきっかけとなった。
昭和20年(1945年)以降で見ると、『文七元結』と『芝浜』を別にすれば(この2作品は円朝の代表的作品とは言えないようだから)、演じられるのは『真景累ヶ淵』『牡丹燈籠』『怪談乳房榎』のみと言ってよい。しかも前2作品は特定の場面のみである[7]
弟子
四天王

初代三遊亭圓馬

三代目三遊亭圓生 - 四代目桂文治一門から移籍

四代目三遊亭圓生

二代目三遊亭圓橘 - 初代三遊亭圓馬一門から移籍

弟子

五代目司馬龍生

初代橘家圓之助

五代目朝寝坊むらく - 二代目三遊亭圓生一門から移籍

二代目立花屋圓蔵

初代三遊亭新朝

二代目五明楼玉輔

三遊亭ぽん太

三代目橘家圓太郎二代目桂文楽一門より移籍)


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