二代目 三遊亭(さんゆうてい) 圓遊(えんゆう)
本名吉田(よしだ) 由之助(よしのすけ)
別名東京圓遊
生年月日1867年7月
没年月日1924年5月31日
出身地 日本
師匠初代三遊亭圓遊
弟子3代目三遊亭小圓遊
三遊亭左圓太
二代目 三遊亭 圓遊(慶応3年7月(1867年7月ないし8月) - 大正13年(1924年)5月31日)は江戸出身の落語家である。本名は吉田(よしだ) 由之助(よしのすけ)。 明治20年代半ばに初代圓遊の元に入門し、三遊亭喜遊
来歴・人物
評判の良かった左圓遊ではあるが兄弟子で年下の初代三遊亭小圓遊の芸の評価は左圓遊を大きく上回るものであり、本来ならば左圓遊ではなく小圓遊が2代目圓遊を継ぐべきところであったのだが、小圓遊が巡業先において32歳の若さで急死した際、目の上のたんこぶが居なくなった左圓遊は「シメタッ」と小膝を叩いたという噂が流れた。しかし、実際そのようなことがあったのかは不明である。
明治38年(1905年)10月に2代目小圓遊に改名。兄弟弟子・三遊亭一圓遊が大阪の高座で圓遊を名乗ったため、明治45年(1912年)4月にあわてて2代目圓遊を襲名。このような事情から「東京圓遊」(「江戸圓遊」)と呼ばれたこともあった。名跡の正統な継承者はこの東京圓遊であるが、芸は一圓遊こと「大阪圓遊」の方が優れていたという。
落語に関しては先代の芸風などをそっくりそのまま真似て演じたものが多かったためか影法師ともささやかれ人気では先代に劣っており、前述の噂もあってか評価はあまり高くなかった。幸運にも名跡を継ぐことは出来たものの、名を残した先代を追い抜くことは叶わなかった。
SPレコードは明治の末に数枚残している。 三代目 三遊亭(さんゆうてい) 圓遊(えんゆう)
弟子
3代目三遊亭小圓遊
三遊亭左圓太
三遊亭若圓遊
三遊亭小遊治
三遊亭小登吹
三遊亭鯉遊
三遊亭花遊
三遊亭右圓遊
初代三遊亭左遊
3代目
本名伊藤(いとう) 金三(きんぞう)
生年月日1878年8月18日
没年月日 (1945-03-17) 1945年3月17日(66歳没)
出身地 日本・東京
師匠初代三遊亭小圓遊
4代目麗々亭柳橋
初代三遊亭遊三
4代目橘家圓蔵
弟子三遊亭福よし
3代目柳亭市馬
名跡1. 三遊亭小蔵
(1899年 - 1900年)
2. 麗々亭柳福
(1900年 - 1901年)
3. 三遊亭小傳遊
(1901年 - 1907年)
4. 2代目三遊亭三福
(1907年 - 1913年)
5. 三遊亭金三
(1913年 - 1914年)
6. 扇遊亭金三
(1914年 - 1917年)
7. 2代目?月廼家円鏡
(1917年 - 1925年)
8. 3代目三遊亭圓遊
(1925年 - 1945年)
活動期間1899年 - 1945年
活動内容落語
幇間
配偶者三遊亭色奴
家族海老一菊蔵(息子)
三遊亭小奴(娘)
所属三遊派
三遊分派
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三代目 三遊亭 圓遊(明治11年(1878年)8月18日 - 昭和20年(1945年)3月17日)は落語家。本名は伊藤(いとう) 金三(きんぞう)。
略歴
東京日本橋蠣殻町の相場師の子。
1899年8月 - 初代三遊亭小圓遊に入門。小蔵を名乗る。
1900年頃 - 4代目麗々亭柳橋門下に移る。麗々亭柳福と改名。
1901年頃 - 小圓遊門下に戻り、三遊亭小傳遊と改名。
1904年3月 - 師匠小圓遊が亡くなり、初代三遊亭遊三門下に移り同名で真打に昇進。