株式会社フィナンシャルワンカードから始まったフィナンシャルワンの運営も引き継いでいる。グループスローガンは、MUFG共通の『世界が進むチカラになる。』である。シンボルマークやコーポレートカラーもMUFGと共通である。
年間取扱高は9兆6,398億67百万円(2016年3月期連結)。前身のディーシーカードが三菱銀行系のクレジットカード会社であったことから三菱広報委員会の会員である一方[9]、同じく前身のUFJニコスが三和系のクレジットカード会社であったことからみどり会の会員でもある[10]。
自身でクレジットカードを発行する前、カードを用いない信用販売事業を専門としていた時代にはJCBの設立にも関与していた。JCBのロゴの赤(JCBの「C」の部分)は日本信販のコーポレートカラーである。
沿革
日本信販株式会社
1948年 - 創業者山田光成が日本百貨サービス株式会社設立。
1949年 - 日本百貨サービスから発展し、前身の日本信用販売設立準備事務所を開設。
1951年6月7日 - 東京都文京区本郷に日本信用販売株式会社設立。クーポン券による割賦購入斡旋事業を開始。
1961年
1月25日 - 三和銀行、日本信販、東洋信託銀行が共同で出資し、「日本クレジットビューロー」を設立。
10月 - 東証2部上場。
1966年 - 商号を「日本信販株式会社」に変更。同時にクレジットカード業を開始。
1970年 - 東証1部に指定変更。
1984年 - 創業者の長男・山田洋二が社長就任。
1987年 - VISA・MasterCardの発行・開拓権を獲得し、「日本信販国際カード」発行。
1988年 - 日本信販が発起人となり国際カードビジネス協会を設立。
1991年 - クレジットカードのブランドを「Nippon Shinpan」から「NICOS」に変更。
1992年 - 「日本信販ギフトカード」を発行。
1997年 - 社長に鈴木公久が就任し、山田洋二は会長となる。
2000年 - ギフトカードに名前やメッセージが印字できる「メッセージ入りNICOSギフトカード」を発行。
2001年 - 経営再建のため山田会長が社長に復帰、鈴木社長が取締役相談役に就任。
2002年11月 - 2003年2月 - 総会屋の右翼団体へ長期の利益供与が発覚し、元専務ら8人の幹部社員が逮捕[11]。創業者一族による経営から刷新(山田洋二社長が引責辞任)し、大森一廣常務が社長就任(三菱UFJニコスとなるまで在任。後任は三和銀行出身者)。
2004年
1月 - UFJホールディングス・UFJ銀行が、日本信販を連結子会社化。
日本信販・UFJカード・ビザと共同開発のSmartplusがサービス開始。
株式会社UFJカード
1968年 - 東海銀行系のクレジットカード会社として「株式会社ミリオンカード・サービス」(mc) 設立。