三菱銀行人質事件
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吉田が出張先から大阪へ戻った時点でも梅川の素性は不明であったが、深夜岐阜県多治見市内で職務質問された男の自供から、梅川に頼まれてライトバンを盗んだこと、さらには銀行強盗の相棒を頼まれたが断ったこと、短気で感情を爆発させると何をするかわからない性格であることを多治見署ですべて供述していたことで梅川の素性が判明した。また男の証言から、梅川が15歳で強盗殺人の罪を犯し少年院送致されていたことが判明する。

夜、梅川が要求した400グラムのサーロインステーキとワインが届けられる。人質にはカップラーメンが差し入れられたが、「栄養がない」と梅川が怒り、代わりにサンドイッチや胃薬が差し入れられた。このカップラーメンは後に梅川が食べている。午後9時半、ひどい風邪をひいていた女性行員が解放された。警察は梅川が要求したビーフステーキに睡眠薬を入れることを検討したが、捜査員がステーキソースに液体の睡眠薬を混ぜて味見したところ、舌先に刺激を感じたこと、なにより梅川は用心深く、毒の混入を警戒し差し入れられた食事は全て人質に毒味をさせていたため、警察はこの方法を断念している。
1月27日

日付は変わり、しばらく膠着状態が続いていたが午前2時頃、人質の客(76歳男性)がトイレに行かせてくれと申し出たところ梅川は年齢を聞くと解放。同じ頃、捜査本部は銀行の3階の女子更衣室に作戦指揮室を開設して指揮に当たった。

数時間後、ラジオの差し入れが遅いことに腹を立てた梅川はロッカーに向けて発砲。流れ弾により客と男性行員の2人が負傷。夜明け前にラジオが差し入れられ、そのラジオのニュースで自分の実名が誤った読み方で報道されていたことに激怒し、捜査本部に「俺の名前はテルミやない!アキヨシいうんや!報道のやつらにアキヨシだと言っておけ!」と言い放った。

1月27日の午前8時前に人質の客(41歳女性)が解放、9時30分には退職した大阪府警察本部捜査第一課の元刑事(57歳男性)が解放される。梅川に職業を聞かれた元刑事は身分を大工と偽っていたが、梅川はまったく疑わなかった。だがラジオが差し入れられてから、いつ梅川が自分の嘘に気づいて激怒して猟銃を発射するかと思うと生きた心地がしなかったと、マスコミのインタビューで述べている(事件が解決するまで、この事実は公表されなかった)。

10時半頃、梅川の母親と亡き父の弟が捜査本部に到着し説得を始めるも梅川が電話を切ったため失敗。手紙で母親が説得すると梅川はトイレの使用を認めるようになった(20秒ほどであり、梅川本人は床に紙を敷いて済ませていた)。用を足しにきた行員らに、警察は2階から励ましたり作戦計画を伝えていた。梅川は全員に服を着ることを許可して、昼までに2人の人質(いずれも女性客)を解放した。

その後差し入れられた朝刊を女性行員に朗読させ、銀行にあった500万円の現金を用意させると、梅川は借金の支払い先を書いたメモを男性行員に渡し、借金を返済してくるよう命じる。午後1時半、弁当の差し入れと引き換えに人質の客(24歳女性)を解放。午後3時前、梅川の借金返済のため男性行員がハイヤーで出発し(同日午後10時ごろ銀行に帰る)覆面パトカーが追跡。ハイヤーに乗った男性が人質の銀行員らしき情報が報道陣に流れるも、この借金返済についてマスコミが知ったのは事件解決後であった。また、この借金返済は法律上無効であり、借金返済の金は警察により回収され銀行に戻された。

午後3時半、リポビタンDの差し入れの後に人質の客(19歳女性)解放。しばらくして行員の申し出により3人の男性行員の負傷者が解放される。3人のうち2人は大阪府立病院に、残る1人は阪和記念病院救急車で搬送。それから1時間後の午後5時前、最後の人質の客(25歳男性)を解放。梅川はこの人質が最もお気に入りだったらしく、この人質をKちゃんと愛称で呼ぶほどだった。午後6時、梅川に気づかれずに隠れていた客(合計5人)が、応接室、貸し金庫室、カウンターから捜査員の誘導により無事に脱出した。梅川は5名の存在も脱出も知らなかった。この際民間の錠前技術者が捜査本部の要請により技術協力し通用口等の鍵を解除、脱出支援を行った。

梅川は月見うどん、マカロニグラタンポタージュスープローストビーフなどの夕食とボルドーワインシャトー・マルゴー(当時、このワインの名を知る者は少なかった)を要求したが、銀行の向かいの酒屋にこのワインがなかったため、シャトー・ランゴア・バルトンとなる。午後7時、梅川がシャッターの穴に気づき、行員に穴を塞ぐように命じる。だが東のシャッターの穴だけは唯一、気づかれず事件終結までこの穴から梅川や行内の監視が続けられた。深夜、遺体の腐敗臭が強くなると、梅川と行員が協力し合って遺体を移動させる。1月28日の午前0時から、捜査本部は人質の苦痛はすでに限界と判断して突撃作戦を開始する。午前2時3分、救急隊員が行内に入り遺体を搬出。警察はこの時の混乱に乗じて梅川を狙撃逮捕する作戦を練ったが、梅川は人質の男子行員に自分の服を着せ、弾を抜いた猟銃を持たせ、自分は人質の服を着て拳銃を持ち人質に紛れ込む偽装工作をしていた。
1月28日
特殊部隊の突入

朝から機会を伺っていた警察は、人質の見張り役が前夜外出した行員と交代した直後、突入準備を開始した。トイレに来た行員から「今回はチャンスがあると思うので合図しますからよろしく」との伝言を受け、大阪府警察本部警備部第二機動隊・零中隊(SAT前身部隊)に待機させた。直後、梅川の至近距離にいて射撃の際に被弾する可能性のあった女性行員がお茶を入れるために離れた。のぞき穴から監視していた警察官からの報告を受け、吉田本部長は強行突入を指示した。零中隊員7名は、トレーニングウェアを着用して匍匐前進で侵入した[注釈 3]

1月28日午前8時41分、警察の作戦を知らされていた唯一の男性行員が、新聞を読みながら居眠りをし猟銃から手が離れていた梅川を確認、警察に掌を上下させ合図した。その直後、7名の零中隊員が人質に「伏せろ!」と叫ぶとともにバリケード代わりのキャビネットの隙間からカウンター内に突入する。零中隊員は拳銃[注釈 4] で計8発を発射し、そのうち3発が梅川の頭と首、胸に命中、梅川は床に崩れ落ちた。担架で固定された瀕死の梅川を逆方向にして、前を救急隊員、後ろを刑事が担いで運び出すが、救急車にたどりつく寸前で後方の刑事が転倒した。梅川は天王寺区大阪警察病院に搬送、意識不明の重体であったが脳波は確認され、2600tの輸血と銃弾の摘出手術を受けるも、右頸部の貫通銃創が致命傷となり同日午後5時43分に死亡が確認された。梅川は人質に自分の服を着せて、弾を抜いた猟銃を持たせるという偽装を行い、自身は人質の服を着て人質の中に紛れ込み「人質解放や!」と叫んで混乱に乗じ脱走する計画を練っていたが、これは警察に見抜かれていた。

この事件の解決のため、大阪府警察本部刑事部は、現地本部に100名を派遣。時間外勤務手当6000万円、給食費220万円、梅川の入院治療費90万円など1億800万円の費用が投入された。殉職した二名の警察官は二階級特進となり、警察以外に内閣総理大臣と関西財界から2000万円が贈られたほか、一般人3000人から3000万円が寄贈された。
詳細
1月26日(金曜日)
午前10時

犯人・梅川昭美(当時30歳)が大阪市住吉区の自宅マンション「長居パーク」を出る。筋向いの食料品店でコーヒー牛乳を飲む。その後、隣の理髪店パーマをかける。
午後0時

スナック焼飯を注文。店主に「忙しいので待って」と言われると「あとで来るわ。港区の友達に映写機を返しに行く」と言って出る。友達に会うと言ったのはアリバイ工作のためだった。その後、近くの寿司屋ナマコ日本酒一合を飲む。
午後1時30分

梅川、寿司屋を出る。マンションの駐車場から愛車マツダ・コスモに乗り、阿倍野橋から南へ約2.5キロの播磨町交差点に向かった。交差点の西南角が三菱銀行北畠支店であり、支店の東側は阿倍野橋から堺市に向かう大阪府道30号大阪和泉泉南線、北側は市道、平野柴谷線が走り、支店側は住吉区、市道を挟んだ向かい側は阿倍野区だった。

梅川は播磨町交差点を渡り、支店を左に見ながら1キロほど走り、レストラン「ボネール」の角を左折し、150メートルほど進んだ帝塚山の高級住宅街で車を停めた。コスモのトランクに積んでおいた変装用の衣服に着替え、梅川は前夜、この場所に移動させておいたダイハツ・シャルマンバンに乗り換えた。梅川は大きく迂回して平野柴谷線に入り、播磨町交差点に戻り、三菱銀行北畠支店に乗りつけ、西側駐車場前の路上に停車した。
午後2時30分 

梅川が大阪市住吉区万代東1丁目15番地の三菱銀行北畠支店1階に侵入。
午後2時31分 

猟銃(ニッサンミロクMODEL1800SW上下二連散弾銃(12番口径))を2発、天井めがけ発射。銃声は400平方メートルの行内のコンクリートの壁に反響して響き渡り、客も行員も一斉に腰を浮かせた。ナップザックをカウンター内に投げ込み「10数える間に5千万円を出せ」と要求。支店2階にいた支店長(当時47歳)が銃声を聞いて階下に下りる。1階にいたのは行員34人(男性14人、女性20人)、来客17人(男性7人、女性10人)の計51人。主婦A(当時61歳)は地下貸金庫室に身を潜め、主婦B(当時51歳)はカウンターの陰に伏せる。1階応接室にいた会社経営者(当時69歳)と長男(当時32歳)はそのまま応接室に隠れる。
午後2時32分

梅川は「早く出せ。出さんと殺すぞ」と脅迫、カウンターにいた窓口係・行員A(当時20歳)が2階に電話しようとしたのを見つけ、2発発射。うち1発がA行員に命中、死亡。もう1発は貸付係・行員B(当時26歳)の後頭部に命中、重傷。この間に定期預金の入金手続きに訪れていた主婦C(当時52歳)と来客係の女子行員(当時52歳)、男子行員(当時39歳)が脱出。
午後2時33分

自転車で支店東側を通りかかった住吉警察署警ら係長・楠本正己警部補(当時52歳)が主婦Cから事件の一報を受ける。
午後2時34分

楠本警部補が東通用口から支店1階に入る。行員はキャビネット上の現金を集め、梅川はカウンター上の現金12万円をポケットに入れる。
午後2時35分

楠本警部補が「銃を捨てろ」と威嚇。梅川の「撃つなら撃ってみろ」との返答に1発威嚇発射。弾は命中せず。梅川が1発発射し、楠本警部補の胸に命中。同警部補は「110番、110番……」と言いつつ死亡。脱出した男子行員が東側歩道の電話ボックスから、女子行員が西側の喫茶店「ハリマ」から110番通報。支店内の行員も非常ボタンを押す。

住吉署は発生配備、付近6警察署(阿倍野西成、住吉、大正堺北松原)は周辺配備。本部関係109台、511人。住吉警察署14台、143人。


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