三菱重工業長崎造船所
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2021年(令和3年) - 香焼工場の新造船部門を、大島造船所に2022年度までに段階的に売却する契約を締結したことを発表[12][13][14]後述)。

2022年(令和4年) - 香焼工場新造船エリアの大島造船所への引き渡し完了を発表[15](後述)。

ギャラリー

【世界遺産】とあるのは明治日本の産業革命遺産の構成資産であることを示す。

明治時代の長崎三菱造船所(第二ドック)
手彩色絵葉書

1984年10月三菱重工長崎ドックナンバー2

明治から大正頃の第三ドック(第三船渠)【世界遺産】

海自艦船入渠中の第三ドック(第三船渠)【世界遺産】

三菱重工業長崎造船所 第三ドック(第三船渠)【世界遺産】

三菱造船所(長崎)で建造中の巡洋戦艦 霧島の絵葉書(1914年8月9日消印)

ジャイアント・カンチレバークレーン(明治時代)【世界遺産】

ジャイアント・カンチレバークレーン(明治から大正の頃)【世界遺産】

ジャイアント・カンチレバークレーン(現在)【世界遺産】

ジャイアント・カンチレバークレーン(ライトアップ)【世界遺産】

旧木型場(三菱重工業長崎造船所史料館)【世界遺産】

占勝閣【世界遺産】

主な製品「Category:三菱重工業長崎造船所が建造した船舶」も参照
戦前・戦中に建造された船舶
民間向け

夕顔丸(1887年 - 1962年)、800トン

筑後川丸(1890年 - 不詳)、1,200トン

須磨丸(1895年 - 1926年)、1,592トン

常陸丸・初代(1898年 - 1904年)、6,172トン

常陸丸・二代目(1906年 - 1917年)、6,716トン

対馬丸・鉄道連絡船(1905年 - 1925年)

丹後丸(1905年 - 1944年)、7,463トン

小笠原丸(1906年 - 1945年)、1,404トン

天洋丸(1908年 - 1933年)、13,454トン

地洋丸(1908年 - 1916年)、13,426トン

紀洋丸(1910年 - 1935年)、9,287トン

春洋丸(1911年 - 1937年)、13,377トン

さんとす丸(1925年 - 1944年)、7,266トン


ぶゑのすあいれす丸(1929年 - 1943年)、9,625トン

うらる丸(1929年 - 1944年)、6,375トン

りおでじゃねろ丸(1930年 - 1944年)、9,626トン

浅間丸(1929年 - 1944年)、16,947トン

龍田丸(1927年 - 1943年)、16,955トン

名古屋丸(1932年 - 1944年)、6,071トン

金剛丸(1936年 - 1953年)、7,082トン

高砂丸(1937年 - 1956年)、9,315トン[16]

興安丸(1937年 - 1970年)、7,079トン

ぶらじる丸(1939年 - 1942年)、12,752トン

あるぜんちな丸(後の空母「海鷹」)

新田丸(後の空母「冲鷹」)

八幡丸(後の空母「雲鷹」)



日本海軍向け

通報艦最上 [I] (長崎での軍艦建造第1号)

防護巡洋艦矢矧 [I]

戦艦霧島日向土佐(未成)、武蔵

重巡洋艦古鷹青葉羽黒鳥海三隈利根筑摩


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