【世界遺産】とあるのは明治日本の産業革命遺産の構成資産であることを示す。
明治時代の長崎三菱造船所(第二ドック)
手彩色絵葉書
1984年10月三菱重工長崎ドックナンバー2
明治から大正頃の第三ドック(第三船渠)【世界遺産】
海自艦船入渠中の第三ドック(第三船渠)【世界遺産】
三菱重工業長崎造船所 第三ドック(第三船渠)【世界遺産】
三菱造船所(長崎)で建造中の巡洋戦艦 霧島の絵葉書(1914年8月9日消印)
ジャイアント・カンチレバークレーン(明治時代)【世界遺産】
ジャイアント・カンチレバークレーン(明治から大正の頃)【世界遺産】
ジャイアント・カンチレバークレーン(現在)【世界遺産】
ジャイアント・カンチレバークレーン(ライトアップ)【世界遺産】
旧木型場(三菱重工業長崎造船所史料館)【世界遺産】
占勝閣【世界遺産】
主な製品「Category:三菱重工業長崎造船所が建造した船舶」も参照
戦前・戦中に建造された船舶
民間向け
夕顔丸(1887年 - 1962年)、800トン
筑後川丸(1890年 - 不詳)、1,200トン
須磨丸(1895年 - 1926年)、1,592トン
常陸丸・初代(1898年 - 1904年)、6,172トン
常陸丸・二代目(1906年 - 1917年)、6,716トン
対馬丸・鉄道連絡船(1905年 - 1925年)
丹後丸(1905年 - 1944年)、7,463トン
小笠原丸(1906年 - 1945年)、1,404トン
天洋丸(1908年 - 1933年)、13,454トン
地洋丸(1908年 - 1916年)、13,426トン
紀洋丸(1910年 - 1935年)、9,287トン
春洋丸(1911年 - 1937年)、13,377トン
さんとす丸(1925年 - 1944年)、7,266トン
ぶゑのすあいれす丸(1929年 - 1943年)、9,625トン
うらる丸(1929年 - 1944年)、6,375トン
りおでじゃねろ丸(1930年 - 1944年)、9,626トン
浅間丸(1929年 - 1944年)、16,947トン
龍田丸(1927年 - 1943年)、16,955トン
名古屋丸(1932年 - 1944年)、6,071トン
金剛丸(1936年 - 1953年)、7,082トン
高砂丸(1937年 - 1956年)、9,315トン[16]
興安丸(1937年 - 1970年)、7,079トン
ぶらじる丸(1939年 - 1942年)、12,752トン
あるぜんちな丸(後の空母「海鷹」)
新田丸(後の空母「冲鷹」)
八幡丸(後の空母「雲鷹」)
日本海軍向け
通報艦:最上 [I] (長崎での軍艦建造第1号)
防護巡洋艦:矢矧 [I]
戦艦:霧島、日向、土佐(未成)、武蔵
重巡洋艦:古鷹、青葉、羽黒、鳥海、三隈、利根、筑摩