それまでは漠然と「もっとお芝居が上手くなりたい」という気持ちがあったが、経験をきっかけに「もっと舞台をやりたい」と思うようになった[7]。それで水鳥に、「この公演のあとも舞台のお芝居をやっていきたい、水鳥さんと一緒に劇団を作って、自分たちの芝居を向上させたい」と伝えていたが、「何言ってんだ」と一蹴されてしまった[7]。最初から「まず、自分たちだけでどれくらい出来るのかやってみろ」と手を貸してくれることはなかったが、そういうことを表向きは言いながらも、水鳥は優しいため、アドバイスはしてくれたという[7]。 1989年に北海道電力泊発電所安全PRビデオのレポーターでプロデビュー[10]。声優としては、『エースをねらえ! ファイナルステージ』の友代役でデビュー[9][10]。翌1990年に、おもちゃショーのセガのブースでナレーターコンパニオンとして参加[23]。試演会で小さな芝居をして、水鳥に観てくれていたところ、演出家として関わってくれることになったため、同声優学院卒業後には高木ら同期と劇団あかぺら倶楽部を結成し、舞台活動を始める[7][13]。 1991年には『ジャンケンマン』でのレギュラーを経験し、『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』のヒロイン、菅生あすか役を担当[9]。1992年は大ヒットした『美少女戦士セーラームーン』で主人公の月野うさぎ(セーラームーン)の声を演じ[7]、人気と知名度を急上昇させた。『セーラームーン』の第1期シリーズ終了後、東京都内で一人暮らしを開始[15]。 1995年には、『新世紀エヴァンゲリオン』の葛城ミサトの声を担当[24]。この作品以後、大人の女性の声を演じる機会が増える。同年には、初のエッセイ『月 星 太陽』を出版。 1999年12月8日頃、結婚[25]。それを機に所属していた劇団あかぺら倶楽部を退団[7]。 2005年4月以降は、声優を総入れ替えして放送開始したテレビ朝日版の『ドラえもん』で、のび太のママこと野比玉子の声を担当。 その後アーツビジョンを退所し、フリーで活動。 2014年、第8回声優アワード「高橋和枝賞」を受賞[26]。 2017年1月9日、テレビ朝日にて放映された『人気声優200人が本気で選んだ!声優総選挙!3時間SP』で第15位に選ばれた[27]。 2021年には『リコカツ』(TBSテレビ)で初の連続テレビドラマレギュラー出演を果たし、主人公の母親役を演じる。実写ドラマへのキャスティングは堤幸彦からのアイデアである[28]。 同年12月31日、『第72回NHK紅白歌合戦』の「カラフル特別企画 ?明日への勇気をくれる歌?」の中で、『新世紀エヴァンゲリオン』の葛城ミサトとして、前半戦の締めくくりと後半戦の幕開けの紅白特別仕様の台詞を入れる演出がなされた[29]。 かつて講師として指導した野沢雅子は当時の三石を「見た目は大人しそうで可愛らしいけれど、バイクに乗ったりと意外と行動的で、とにかくガッツがあった」と語っていた[10]。 三石の私生活の趣味は、うさぎ同様に「食う・寝る・遊ぶ」の三拍子と言われる[30]。 かつて、自分が乗っていたヤマハ・FZ250フェーザーに「フェザ子」という名前を付けていたことがある[31]。所有していたのは2型のYSP仕様[31]。 『セーラームーン』のメインキャラクターの水野亜美(セーラーマーキュリー)役で共演した久川綾は、『セーラームーン』の最初のオーディションでは主人公の月野うさぎ役で受けており、アフレコスタジオ入りした際、三石の演技を見て「自分には絶対に真似できない」と感嘆したと評価している[32]。 『セーラームーン』で一躍ブレイクした三石だったが、初代の終盤となる第44 - 46話、次作『美少女戦士セーラームーンR』の第1 - 4話となる第47 - 50話までの収録期間、病気療養(1か月間入院[15] し、その後3か月間自宅療養)のため、この間は荒木香衣が代役で演じている(その後、荒木はちびうさ役に起用された)。
キャリア
現在まで
人物
セーラームーン
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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