三石琴乃
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『セーラームーン』のメインキャラクターの水野亜美(セーラーマーキュリー)役で共演した久川綾は、『セーラームーン』の最初のオーディションでは主人公の月野うさぎ役で受けており、アフレコスタジオ入りした際、三石の演技を見て「自分には絶対に真似できない」と感嘆したと評価している[32]

『セーラームーン』で一躍ブレイクした三石だったが、初代の終盤となる第44 - 46話、次作『美少女戦士セーラームーンR』の第1 - 4話となる第47 - 50話までの収録期間、病気療養(1か月間入院[15] し、その後3か月間自宅療養)のため、この間は荒木香衣が代役で演じている(その後、荒木はちびうさ役に起用された)。当初は虫垂炎(盲腸炎)と報道されたが、卵巣嚢腫に加え腹膜炎を併発したことにより命に関わるほどの危険な状態だったと本人が公式ブログやインタビューで語っている[24][33]。当時の社長の松田咲實が自著『声優白書』で「売れっ子になった三石に仕事を取らせ過ぎたことが一因で申し訳ない出来事だった」と語っている[34]

エッセイ『月 星 太陽』(角川書店1995年4月刊)のなかでは、『セーラームーン』の第44 - 46話を入院により降板した際のエピソードが自身のプライベートとともに赤裸々に綴られている。三石は同話に出演できなかったことを心残りとしており、のちに『アニメイトカセットコレクション』3巻に、三石琴乃版『セーラームーン』最終回を収録している。また、本編放送から27年後の2020年12月5日に放送された『発表!全美少女戦士セーラームーンアニメ大投票』(NHK BSプレミアム)では、第46話の最終シーン[注 1] を三石自身が生アフレコで披露している。生アフレコの披露後、三石は同番組で「当時、あの現場でお芝居してくれた香衣ちゃんには敵わないなという印象もあります」と、代役でうさぎを演じた荒木を絶賛するメッセージを送っている。

『セーラームーン』の大ファンだというタレントの中川翔子の誕生日に、自らの声(月野うさぎ)を吹き込んだ目覚まし時計をプレゼントしたことがある[35]。その後2012年10月にも中川との対談が実現し、この時は中川から三石へ「セーラームーンと葛城ミサトのイラスト」、三石から中川へ「サイン入りセーラームーンセル画」をそれぞれプレゼントした[36]。また、前述の番組で三石による第46話最終シーンの生アフレコを行うことが番組司会の杉浦友紀アナウンサーから告げられると、中川は驚きの表情を見せ、三石の生アフレコを聴き終えた後は「永久保存です!歴史が動いた!」と感極まって号泣していた[注 2]

2014年7月から『セーラームーン』作品の新作アニメ版『美少女戦士セーラームーンCrystal』で、再び主人公の月野うさぎ(セーラームーン)役を担当。メインキャストの中で、三石が旧シリーズから唯一の続投となった[37]。三石はスタッフから「『セーラームーン』の遺伝子として、作品にいていただきたいです」と言われてオファーを受けたことを明かしている[38]。『Crystal』がスタートするときに旧アニメ版のキャストの涙を見ており、「今の子どもたちにも『セーラームーン』で夢を与えてね」とメッセージをもらっている[39]
エピソード

『声優グランプリ』などの声優雑誌ができた頃にグラビア撮影を受けることがあったが、本人は新人だったため事務所が受けた仕事を断ることなどできず、とりあえず飛び込んでこなしていく感じだった。若手時代で苦労したこととして、OVAの販促用無料イベントで各都市を回って客の前でトークを行うことを2017年のムックで挙げている
[40]

『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』に関連するイベントで1曲歌うことになった際、金欠により衣装は友人からフォーマルワンピースを借りた。元々はサウンドトラックに入るキャラクターのイメージソングを声優に歌ってもらえばいいのではないかという軽い気持ちでメインキャストが歌唱したのだが、CDがオリコンチャートに入ったため業界が騒然とした[40]

人生初のレコーディングは本人にとってはトラウマ。最初は駄目出しの連続だったが、次第に駄目出しもなくなりただひたすらやり直しを命じられた。1990年代当時はPro Tools等は存在しなかったため、ひたすら歌い直しを行うしかなった[41]

『新世紀エヴァンゲリオン』で葛城ミサトの声を担当した際には、庵野秀明が当時の三石が持つ「暗さ」を評価している[18]

1990年代では、久川綾がライバルだった。久川独特の声の響きは自分が持っていないもので、羨ましいというかジェラシーもあったという[42]

ラブライブ!』が流行した時には、自分達もステージに立って歌や踊りを披露して同じようなことをしたものだと思ったと語っている[43]

スタジオ内でワイワイ盛り上がるのは、声優業界では三石たちの世代からのことである。それまでスタジオ内では作品作りに集中するのが流儀であったがその、仕事の流儀を変えた人物の1人が三石である[43]

まだ日本に携帯電話が普及していなかった時代のある日、公衆電話で事務所とスケジュールの確認をしていたところ、順番待ちしていた一般人に「三石さんですか!?」と気付かれたことがある[44]

新人時代にはファンのストーカー行為に悩まされたり、事務所に穏当でない内容の手紙が来たりした。新人には個人マネージャーが付かなかったため事務所のマネージメントを期待することができず、仕事以外では自分の身は自分で守らなければならなかった。同じ事務所の先輩には「気持ちはフリーでいるとちょうどいいよ」と、その頃にアドバイスを受けている[44]

先輩の助言を受けて以降、制作会社に直接台本を取りに行って顔を覚えてもらったり、ディレクターに頼んでダビングを見学させてもらったり、事務所のものとは別のボイスサンプルテープを作ったりと、仕事のきっかけを作るために行った自己マネジメントのおかげで三石は声優として大成するに至った[44]


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