三皇五帝
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なお伏羲と神農に関しては早く『周易』繋辞下伝にを使って文明をもたらした聖人として黄帝に先行する存在として描かれているが、これを三皇に入れ、三皇を歴史的な帝王として五帝の前に置くことが固定化するようになったのは以後のことと考えられる。
五帝

誰をもって五帝となすかは下の表に示してあるように様々であり、その話の内容に付いても様々な前後矛盾がある。『史記』「五帝本紀」に於いて五帝を一応歴史の範疇内に置いた司馬遷であるが、「黄帝伝説は史実とは思っていないが、黄帝伝説のあるところに限って共通の民俗風土があり、いくばくかの史実が紛れ込んでいることは否定できない。よって、これらを記録することに価値を見出すものである」と断りを入れている。

伏羲神農太昊炎帝黄帝少昊???出典
12345『大載礼記』・『史記
12345『戦国策』・『易経
12345『礼記』・『淮南子
12345『世経』
12345『三統経』
12345『資治通鑑外記』

受容
「皇帝」という称号の発祥

紀元前221年、趙政は、他の6国を攻め滅ぼし中国統一した後、それまでの「王」という君主の称号より上位の称号を王綰李斯ら重臣達に諮問した。重臣達は、古代の五帝を超越したとして三皇のうち最上位である「泰皇」の称号を使うよう推挙したが、趙政は自分がこの三皇五帝より尊い新たな存在であるという考えから、皇と帝を合わせた「皇帝」と言う新しい称号を造語し、自身はその初代であるため始皇帝と称した(『史記』など)。

以降、中国の支配者は皇帝を名乗ることになる。
信仰「聖人#儒教」および「中国の民俗宗教#中国の神々」を参照
ナショナリズム「黄帝紀元」および「wikt:炎黄子?」を参照
研究「疑古」、「中華文明探源プロジェクト」、および「古国時代」を参照
脚注[脚注の使い方]^ コトバンク「三皇五帝」

参考文献
関連項目

中国神話

中国文明

黄河文明長江文明遼河文明


古代中国

史記

武氏祠

古国時代

先史時代

石器時代

新石器時代


安土城 - 天守最上階に三皇五帝の障壁画が描かれている

太平記謡曲 - 「三皇五帝の昔より」などと語られる

外部リンク

『三皇五帝
』 - コトバンク


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