三畳紀
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六放サンゴやさまざまな翼形(よくけい)二枚貝などが発展するようになり[2]、アンモナイトは、中生代まで生き残った数種をもとにセラタイト型が爆発的に増えた[7]。また、類縁するベレムナイトが著しく多数にわたって現れた[4]。棘皮動物のうちウニ類は古生代においてはまだ十分な発達をとげなかったが、中生代には急激に進化しはじめ、多くの種を生じた[3][注釈 3]。このような新しい種の出現によって、三畳紀後期にはいったん損なわれた生物多様性を再び回復した[2]

三畳紀の海成層の示準化石として重要なものとしては、セラタイト型アンモナイト、翼形二枚貝(ダオネラ、ハロビア、モノティス等)のほか、原生動物放散虫、貝蝦(エステリア)、ウミユリ(棘皮動物)の一種エンクリヌス・リリイフォルミス[注釈 4]があり、状の微化石コノドントは生物学上の位置づけが未解決の部分もあるが、層位学的にはきわめて重要である[2][3]。なお、ダオネラは、現在のホタテガイに近縁する絶滅種であり、ダオネラ頁岩は堆積学的見地からも重視される[3]三畳紀後期に生息していた原竜脚類テコドントサウルス最古のカメ、オドントケリスの化石実測図

これに対し陸上の動植物はペルム紀中に大変革を終えており、P-T境界においては海生生物におけるほどの劇的な変化をともなっていない[2][3]。ペルム紀においてすでに主竜類などをはじめとする爬虫類が水中のみならず陸上生活に適したものが増加し、三畳紀には体躯の大きなものも出現して繁栄した[3]。主竜類の中から三畳紀中期にはエオラプトルヘレラサウルスなどの恐竜翼竜ワニが出現、また主竜類に近い系統からカメ類が現れた[9]。爬虫類はまた、肺呼吸を完全にし、種類によっては皮膚ウロコや硬い甲羅でおおうことによって乾燥した陸地への生活に適応していった[8]

この時代の恐竜(初期恐竜)は、陸生脊椎動物のなかにあって特に大型であったわけではなく、初期恐竜と併存していた恐竜以外の爬虫類のなかに、それよりもはるかに大きく、個体数の多い種もあったと推定される[9]。中でもこの時代にワニ類を輩出したクルロタルシ類は繁栄の絶頂にあり、陸上生態系において支配的地位を占めていた。三畳紀の恐竜化石は特に南アメリカ大陸で多数検出されており、北米・アフリカヨーロッパなどでも確認されている[9]湿地帯などにのこされた爬虫類の足跡化石が多く発見されるようになるのも三畳紀に入ってからであり、これにより、肉食種が植物食種を捕食するシステムが成立していたことが推測される[3]。カメは、現存種には歯のある種はないものの、オドントケリスプロガノケリスなど初期のカメには顎に歯があったことが確認されている[4]。また、四肢は現在のゾウガメに類似しており、陸上生活者であると考えられている[9]。三畳紀のワニ類もまた陸上生活者であり、全長は1メートルにおよばなかった[9]

非哺乳類の単弓類が最後に繁栄したのも三畳紀だった。初頭には大型ディキノドン類リストロサウルスや最後の大型テロケファルス類モスコリヌスに加え、小型のトリナクソドンのようなキノドン類が多種多様な爬虫類と共存した。前期にはカンネメイエリアキノグナトゥスがさらなる大型化と多様化を達成し、中期?後期にかけても大型種では植物食のプラケリアス、雑食のエクサエレトドンやディアデモドン、肉食のトルシキノドンが変わらぬ繁栄を見せ、小型種ではトラベルソドン類やイクチドサウルス類が生態系の隙間を埋めた[10]

こうした三畳紀特有の生物相は、南米ロス・コロラドス層を見るに、三畳紀中盤から末期にかけて概ね維持されていた[11]。ただし竜脚形類新獣脚類の台頭など、留意すべき点もある。

なお最初の哺乳類が現れたのも三畳紀であった[4]。哺乳類は、中生代を通じて小型であり、大きくてもネコ小型犬ほどの大きさであり多くの種はドブネズミハツカネズミの大きさほどしかなかった[9]

これらの内、一部の系統では歩行/走行と呼吸を並行して行うことが出来るようになっていた。これにより、後代の生物には真の恒温性を獲得することになる[12]

三畳紀には、従前は陸上でしかみられなかった爬虫類であったが、三畳紀に入ってその一部が海に進出した[9]イクチオサウルスなどの魚竜や、泳ぐのに特化したひれ状の足をもつプラコドンなどの鰭竜類(Sauropterygia)、タラットサウルス類、板歯目などがそれである[4][9]

魚類のうち、サメのなかまはペルム紀末の大量絶滅によって打撃を受け、その繁殖は限定的であったが、硬骨魚類は海中において顕著に繁殖した[13]両生類は、中期に体長5メートルを越すと推定されるマストドンサウルスがあり、これは史上最大級の両生類の一つと考えられている。両生類には、分椎目アファネランマに代表されるトレマトサウルス類のように海水に適応した種さえあったが、三畳紀を通じてその多くは衰退していった[14]三畳紀の植生想像図

陸上の植物ではシダ植物裸子植物が著しく分布域を広げ[2]、ボルチアやアメリカ合衆国アリゾナ州におけるアラウカリオキシロンの珪化森林にみられるようにマツスギの遠祖となる針葉樹が現れた[8]種子植物でありながら独立した精子をつくるイチョウ類ソテツ類、ベネティティス類も多かった。湿地帯には、現在のシダ植物ヒカゲノカズラ科の類縁種である古代リンボクが豊富にのこり、シダトクサも密に分布した[4]。また、古生代後期からひきつづき、ゴンドワナ植物群とアンガラ植物群とが植生を競いあっていた[2]
三畳紀の終わり詳細は「en:Triassic?Jurassic extinction event」を参照

三畳紀の終わりに、再びやや小規模な大量絶滅があった。海洋ではアンモナイトの多くの種が姿を消し、魚竜などの海洋棲爬虫類も打撃を受けた。陸上ではキノドン類ディキノドン類の大半の種といった大量の単弓類(哺乳類型爬虫類)が絶滅した[9]。三畳紀の終末を生き延びた恐竜など陸生脊椎動物は、繁殖様式(など)や生活様式から乾燥にとくに強いタイプのものと考えられる[9]


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