三田尻御茶屋
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

本館を構成する主な棟は、江戸時代に建てられた大観楼棟、明治時代に建てられた奥座敷棟、大正時代に建てられた玄関棟と台所棟に区分される[6]。三田尻茶屋に現存する建造物では最古のものである大観楼棟は、かつては2階から海が見える眺望だったことから付けられた名前である。

1996年からの保存修理工事では、全体としては明治から大正時代の状態としているが、建物の各部分を前述の各建築時期にあわせて復元している[4]。玄関や廊下、奥座敷棟にあるシャンデリアなどの内装などは防府市多々良の毛利邸に現存しているものを参考にし、襖模様はそれまでの模様替えで何度も貼り重ねられていた襖紙の調査から復元し、その他も文献や絵図を参考に往年の姿を復元している[7]。茶室の花月楼は、江戸千家の祖である川上不白(かわかみふはく)の弟子であった重就が、不白が献上した茶室の差図(図面)を元に1776年(安永5年)に建築していた[8]が、重就の没後に、重就の茶道指南役であった竹田休和が9代藩主斉房から貰い受けて萩に移築したとされる[9]。そのため、現在の三田尻茶屋にある花月楼は、周防国分寺に建てられていた茶室を、明治時代に移築したものである[6]

また、修復工事中には、佐野焼[10]かめを使った水琴窟が敷地内から発見されており、手を洗う時の水の滴で響きを楽しんだと思われる(その他の遺構が見つかっていないため、設置時期などの詳細は不明)[11]
所在地

山口県防府市お茶屋町10番21号
脚注^ a b c d e三田尻御茶屋 - ほうふWeb歴史館
^ a b c d e f国指定史跡 萩往還関連遺跡「三田尻御茶屋」の変遷 - 元気になるメールマガジン!!山口きらめーる2012年8月24日号 vol.235
^15年間の修理を経てついに完成・英雲荘が29日オープン - 防府日報2011年9月28日
^ a b英雲荘の一般公開について - 防府市
^ a b英雲荘の一般公開始まる 防府市 - 山口新聞2011年9月30日
^ a b三田尻御茶屋旧構内「英雲荘」(国指定史跡萩往還関連遺跡) - 山口県フィルムコミッション
^山口県防府市 英雲荘 歴史上重要な役割を果たした萩藩の公館 - 自治体の仲間2012年8月号(日本自治体労働組合総連合
^ 『英雲公と防府(1936年・著/香川正一)』( ⇒目で見る 毛利家あれこれ ?毛利博物館収蔵資料と歴史ばなし?第125回 - 地域情報新聞ほっぷ 2013年1月10日)
^花月楼 - おいでませ山口へ(山口県観光連盟)
^佐野焼 - ほうふWeb歴史館
^旧三田尻御茶屋敷地内で水琴窟公開へ―防府 - 山口新聞2008年9月6日

関連項目

本陣

武家屋敷

茶屋

松陰神社 - 茶室花月楼の現存地(最終的な移築先)

外部リンク

国指定史跡 萩往還関連遺跡「三田尻御茶屋」の変遷 - 元気になるメールマガジン!!山口きらめーる2012年8月24日号 vol.235(山口県広報広聴課)


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:15 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef