太平洋戦争終結後は、進駐軍将兵らの集会所となった[2]。大観楼棟1階をダンスホールとするため、畳を取り外して絨毯敷きにするなどの大改築が行われた[2]。
その後、市の公民館などとして使われてきた[2]が、1989年(平成元年)9月3日には、萩往還関連遺跡三田尻御茶屋旧構内として、国の史跡に指定される。そして、1996年(平成8年)に修復保存作業が始まり、各棟を往年の姿に復元し、2011年(平成23年)9月より一般に公開された[4][5]。 三田尻茶屋の敷地面積は約9530平方メートル、主な建築物は木造平屋2階建ての本館が延べ937平方メートル、木造平屋建ての離れの茶室が延べ139平方メートルである[5]。 本館を構成する主な棟は、江戸時代に建てられた大観楼棟、明治時代に建てられた奥座敷棟、大正時代に建てられた玄関棟と台所棟に区分される[6]。三田尻茶屋に現存する建造物では最古のものである大観楼棟は、かつては2階から海が見える眺望だったことから付けられた名前である。 1996年からの保存修理工事では、全体としては明治から大正時代の状態としているが、建物の各部分を前述の各建築時期にあわせて復元している[4]。玄関や廊下、奥座敷棟にあるシャンデリアなどの内装などは防府市多々良の毛利邸に現存しているものを参考にし、襖模様はそれまでの模様替えで何度も貼り重ねられていた襖紙の調査から復元し、その他も文献や絵図を参考に往年の姿を復元している[7]。茶室の花月楼は、江戸千家の祖である川上不白(かわかみふはく)の弟子であった重就が、不白が献上した茶室の差図(図面)を元に1776年(安永5年)に建築していた[8]が、重就の没後に、重就の茶道指南役であった竹田休和
建築物
また、修復工事中には、佐野焼[10]のかめを使った水琴窟が敷地内から発見されており、手を洗う時の水の滴で響きを楽しんだと思われる(その他の遺構が見つかっていないため、設置時期などの詳細は不明)[11]。 山口県防府市お茶屋町10番21号
所在地
脚注^ a b c d e ⇒三田尻御茶屋 - ほうふWeb歴史館
^ a b c d e f ⇒国指定史跡 萩往還関連遺跡「三田尻御茶屋」の変遷 - 元気になるメールマガジン!!山口きらめーる2012年8月24日号 vol.235
^ ⇒15年間の修理を経てついに完成・英雲荘が29日オープン - 防府日報2011年9月28日
^ a b ⇒英雲荘の一般公開について - 防府市
^ a b ⇒英雲荘の一般公開始まる 防府市 - 山口新聞2011年9月30日
^ a b ⇒三田尻御茶屋旧構内「英雲荘」(国指定史跡萩往還関連遺跡) - 山口県フィルムコミッション
^ ⇒山口県防府市 英雲荘 歴史上重要な役割を果たした萩藩の公館 - 自治体の仲間2012年8月号(日本自治体労働組合総連合)
^ 『英雲公と防府(1936年・著/香川正一)』( ⇒目で見る 毛利家あれこれ ?毛利博物館収蔵資料と歴史ばなし?第125回 - 地域情報新聞ほっぷ 2013年1月10日)
^ ⇒花月楼 - おいでませ山口へ(山口県観光連盟)
^ ⇒佐野焼 - ほうふWeb歴史館
^ ⇒旧三田尻御茶屋敷地内で水琴窟公開へ―防府 - 山口新聞2008年9月6日