三洋電機
[Wikipedia|▼Menu]
現在は三洋電機本体に吸収合併)設立。モジュラーステレオ、システムコンポーネントステレオOTTO(オットー)発売。

1969年(昭和44年) - サンヨー薔薇チェーン(SBC)制度発足(後の「スマイるNo.1ショップ」)。

1970年(昭和45年) - 日本万国博覧会にサンヨー館出展、未来の家庭生活を展示。なかでも人間洗濯機(ウルトラソニックバス)は注目を集める。

1971年(昭和46年) - 日本初のワイヤレスリモコン操作方式テレビ発売。サンヨーズバコンのテレビCMは一世を風靡した。

1972年(昭和47年) - サンヨービデオテープレコーダー札幌オリンピックで公式判定用として採用される。

1975年(昭和50年) - アメリカの電機メーカー「エマソン・エレクトリック」傘下の高級オーディオメーカー「フィッシャー」を買収。

1984年(昭和59年) - ロサンゼルスオリンピックのAV機器のスポンサーとして協賛。

1985年(昭和60年) - 1986年まで石油ファンヒーターによる一酸化炭素中毒事故が続発(詳細は石油ファンヒーター事故を参照)。

1986年(昭和61年)12月1日 - グループ会社だった東京三洋電機を吸収合併。これを機にロゴマークを上記のもの(ブランド統合前のロゴ)に変更。

1988年(昭和63年) - この年からプロ野球オールスターゲームの冠スポンサーとなる。

1990年(平成2年) - 超軽量アモルファス太陽電池を動力源としたソーラープレーンによる北米大陸横断に成功。

1994年(平成6年) - 中国安徽省合肥栄事達集団と合弁で合肥三洋(当時は「合肥三洋洗衣機有限公司」、後に「合肥栄事達三洋電器股?有限公司」に改名)を設立。

1995年(平成7年) - 世界初の3Dテレビ(2D/3Dワイドテレビ・立体ビジョン)発売。

1999年(平成11年)

2月4日 - イーストマンコダック有機EL事業での業務提携を発表。

9月30日 - 世界初となるアクティブマトリクス方式の、有機ELフルカラーディスプレイをイーストマンコダックと共同発表。


2000年(平成12年)10月4日 - 東芝グループから東芝電池の有するニッケル水素電池事業を取得し、子会社・三洋エナジー高崎(三洋エナジートワイセルを経て、現・FDKトワイセル)設立[6]

2001年(平成13年) - 白物家電を主に生産していた大日工場を閉鎖、東京製作所に機能移転。跡地にはイオンモール大日や高層マンションサンマークスだいにち」などが建設。

2002年(平成14年) - 業界2位だった自動販売機事業を富士電機に売却。中国最大の家電メーカーである海爾集団公司(ハイアール)と提携、三洋ハイアールを設立。ソーラーアーク設立。

2003年(平成15年)

1月 - 子会社の三洋電機ソフトウエアがNTTデータと資本提携、NTTデータ三洋システムに社名変更。

2月26日 - 日本電池三菱電機の合弁会社であったジーエス・メルコテックへ出資し、三洋ジーエスソフトエナジーに社名変更[7][8]

4月 - 子会社の三洋エナジー高崎と三洋エナジー貝塚(初代)が合併し、三洋エナジートワイセルへ社名変更。


2004年(平成16年)

9月1日 - 携帯電話事業の子会社、三洋テレコミュニケーションズ(STEL)を吸収合併。

10月1日 - セイコーエプソンディスプレイ (コンピュータ)事業を統合。

10月23日 - 新潟県中越地震が発生し、子会社である新潟三洋電子(後の三洋半導体製造。現・オン・セミコンダクター新潟)の半導体工場が被災。地震保険に未加入だったため、500億円超の被害が同年度決算にほぼそのまま損失として計上された。


2005年(平成17年)11月14日 - 充電して繰り返し使えるニッケル・水素蓄電池二次電池)「eneloop」を発売。ヒット商品となる。

2006年(平成18年)

1月31日 - イーストマンコダックとの提携を解消。

3月14日 - 総額約3000億円の優先株増資を実施。大和証券SMBCゴールドマン・サックス証券三井住友銀行が引き受け、三金融機関が副社長を派遣(詳細は後述)。

7月3日 - 三洋半導体株式会社(後のシステム・ソリューションズ)を設立。

12月1日 - プロ野球オールスターゲーム冠スポンサーからの撤退を表明。


2007年(平成19年)

2月2日 - 日本向けの冷蔵庫の製造をハイアールに委託する目的で、ハイアール三洋エレクトリック株式会社を設立。2002年(平成14年)に設立された三洋ハイアールは同年3月31日付けで解散。

11月28日 - イオングループのプライベートブランドトップバリュ」の家電製品を共同で開発すると発表。


2008年(平成20年)

3月16日 - ラグビー部が日本選手権日本ラグビーフットボール選手権大会)で悲願の初優勝を果たし日本一となる。

4月1日 - グループの組織再編を実施。三洋電機の白物家電事業・車載機器事業および営業・販売部門を三洋電機コンシューマエレクトロニクス株式会社(同日付で鳥取三洋電機から社名変更)に移管、鳥取三洋電機のフォトニクス事業を三洋電機に移管。洗濯機事業を子会社の三洋アクア(同日設立)に移管。携帯電話事業を京セラへ売却。


2009年(平成21年)12月21日 - パナソニックの友好的TOBによって過半数の株式を取得し、パナソニックの子会社となる[9](経緯については後述)。

2010年(平成22年)

1月12日 - パナソニック子会社化の影響により、主にニッケル水素電池を生産する三洋エナジートワイセルと三洋エナジー鳥取の全株式をFDKへ売却。ただし三洋エナジートワイセルの一部事業(リチウムイオン電池の製造等)は、三洋エナジー貝塚(2代)として分割され三洋傘下に残留した[10]

8月20日 - GSユアサとの合弁会社であった三洋ジーエスソフトエナジーの解散を発表[11]


2011年(平成23年)

1月1日 - 子会社の三洋半導体オン・セミコンダクターに売却。

1月27日 - 同社のテレビや携帯電話などに使用の液晶技術の特許を侵害したとして、シャープを相手取り提訴[12]
次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:180 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef