三村明
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また、日本映画撮影監督協会 (J.S.C) の初代理事長に就任して以降は17年間、撮影技術機関誌「映画撮影」刊行に尽力するなどした[7]。「映画撮影」は日本唯一の撮影専門誌として、現在も年4回の刊行が続く。多くの門下を出したが、ブルース・リーの『ドラゴンへの道』の撮影など、香港映画で活躍した西本正(賀蘭山)がよく知られている。

1975年(昭和50年)、勲四等瑞宝章受章。

伝記として、『聖林からヒロシマへ(映画カメラマン・ハリー三村の人生)』(工藤美代子著、晶文社、1985年2月)がある。
フィルモグラフィー
映画

放浪記(1935年)

人情紙風船(1937年)

お嬢さん(1937年)

綴方教室(1938年)

支那の夜(1940年)

(1941年)

ハワイ・マレー沖海戦(1942年)

緑の大地(1942年)

姿三四郎(1943年)

加藤隼戦闘隊(1944年)

東宝千一夜(1947年)

恋する妻(1947年)

黒馬の団七(1948年)

三百六十五夜(1948年)

結婚三銃士(1949年)

夢よもういちど(1949年)

銀座カンカン娘(1949年)

暁の脱走(1950年)

女医の診察室(1950年)

処女宝(1950年)

愛染香(1950年)

バナナ娘(1950年)

月よりの母(1951年)

女豹の地図(1951年)

銀座化粧(1951年)

上海帰りのリル(1952年)

ハワイの夜(1953年)

南十字星は偽らず(1953年)

風立ちぬ(1954年)

第二の接吻(1954年)

やくざ囃子(1954年)

やがて青空(1955年)

明日の幸福(1955年)

花のゆくえ(1955年)

いらっしゃいませ(1955年)

世にも面白い男の一生 桂春団治(1956年)

森繁よ何処へ行く(1956年)

鬼の居ぬ間(1956年)

おしどりの間(1956年)

ひかげの娘(1957年)

その夜のひめごと(1957年)

浪人街(1957年)

非常線(1958年)

おしどり駕籠(1958年)

娘の中の娘(1958年)

白い通り魔(1959年)

空港の魔女(1959年)

父と娘(1959年)

東京べらんめえ娘(1959年)

警視庁物語 血液型の秘密(1960年)

警視庁物語 聞き込み(1960年)

消えた密航船(1960年)

砂漠を渡る太陽(1960年)

遙かなる母の顔(1960年)

金も命もいらないぜ(1961年)

恋愛学校(1962年)

恋は神代の昔から(1963年)

浅草の侠客(1963年)

脚注^ a b c 作家全史、pp.221-222.
^ a b c d e f Roger Pulvers (2012年1月8日). “Akira ‘Harry’ Mimura: A life uniquely focused on both sides of the Pacific” (英語). ジャパンタイムズ. 2017年9月19日閲覧。
^ a b c dあの時わたしは ファインダーでのぞいた廃墟のヒロシマ 。番組ライブラリー
^ a b cノンフィクションW 撮影監督ハリー三村のヒロシマ 。WOWOWオンライン、テレビ質問状:「撮影監督ハリー三村のヒロシマ」 原爆投下から半年後の広島を撮った名カメラマン
^ a b c検証 ヒロシマ 1945?95 <25> 映画 。ヒロシマ平和メディアセンター
^ a b c d e f g h i 佐藤孝吉 「世界のクロサワの恋女房」『「ビートルズ」から「はじめてのおつかい』」まで 僕がテレビ屋サトーです 名物ディレクター奮戦記』 文藝春秋 ISBN 4163655905 pp.361-369
^ a bJSCの歴史、 ⇒機関誌「映画撮影」創刊号 - JSC


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