河出書房から依頼された長編のタイトルを〈仮面の告白〉と定めた三島は、〈生まれてはじめての私小説〉(ただし、文壇的私小説でない)に挑み[233]、〈今まで仮想の人物に対して鋭いだ心理分析の刃を自分に向けて、自分で自分の生体解剖をしよう〉という試みで11月25日に起筆した[233]。同月20日には、書き上げまで2年以上を費やした初の長編『盗賊』が真光社から刊行され、12月1日には短編集『夜の仕度』が鎌倉文庫から刊行された[51][234]
1949年(昭和24年)2月24日、作家となってから初上演作の戯曲『火宅』が俳優座により初演され、従来のリアリズム演劇とは違う新しい劇として、神西清や岸田国士などの評論家から高い評価を受けた[235][236]。4月24日には、「仮面の告白」の後半原稿を喫茶店「ランボオ」で坂本一亀に渡した[53][注釈 18]。紫色の古風な袱紗から原稿を取り出して坂本に手渡す三島を店の片隅で目撃していた武田泰淳は、その時の三島の顔を「精神集中の連続のあとの放心と満足」に輝いていたと述懐している[238]。
三島にとっての〈裏返しの自殺〉、〈生の回復術〉であり[239]、〈ボオドレエルの「死刑囚にして死刑執行人」といふ二重の決心で自己解剖〉した渾身の書き下ろし長編『仮面の告白』は同年7月5日に出版され[51][240]、発売当初は反響が薄かったものの、10月に神西清が高評した後、花田清輝に激賞されるなど文壇で大きな話題となった[241]。年末にも読売新聞の昭和24年度ベストスリーに選ばれ、作家としての三島の地位は不動のものとなった[183][242]。
この成功以降も、恋愛心理小説「純白の夜」を翌1950年(昭和25年)1月から『婦人公論』で連載し[51]、同年6月30日には、〈希臘神話の女性〉に似たヒロインの〈狂躁〉を描いた力作『愛の渇き』を新潮社から書き下ろしで出版した[243]。同年7月からは、光クラブ事件の山崎晃嗣をモデルとした話題作「青の時代」を『新潮』で連載するなど、〈一息つく暇もなく〉、各地への精力的な取材旅行に励み[244]、長編小説の力倆を身につけていった[245]。