三宅裕司のいかすバンド天国
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チューリップテレビ(1990年10月から)[注 7]

※なお、2007年12月30日に放送された本番組の特番『イカ天2007復活祭』は全国ネットの枠で放送されたため、上記以外の局でも放送されていた。特に毎日放送はレギュラー放送時代、終了までネット局にならなかったため、関西地方ではこの復活特番が唯一の放送となった(詳しくは板東英二のわがままミッドナイト#番組編成上の影響を参照)。
備考

出場バンドの決定は
ジャクソン井口が行っていた[26]

1989年3月25日放送分までイカ天の前に「お熱いのはお好き?」という、女性ゲストを迎えてゲームなどをするコーナーがあった[27]

ナレーターが登場したのは1989年4月15日放送の回から。それまでは三宅自らが出場バンドの紹介を行っていた[28]

生放送中にニュース速報が流れたこともあり、1989年3月18日には伊藤みどりパリの世界フィギュアスケート選手権で優勝した模様が流れた一方で同年6月3日には天安門事件の映像が流れ、スタジオに緊張感をもたらした。また1989年8月5日には報道スタジオから生で台風情報がこの番組中に入ったが、その時に三宅が「せっかくイカ天に出るんだから、パンクの格好で出てきて欲しかったですね」などとそのキャスターに言っていたことがあった[29]

演奏する予定の曲の歌詞の中に放送禁止用語が含まれていたため止む無く歌詞を変えて演奏したバンドもあったが、中にはバンド名そのものが放送禁止だったため改名を余儀なくされたバンドもあった。1989年7月22日出場の発破ノッカーズの元々のバンド名は乞食王子。同年6月17日に出場した近親憎悪は元々は生理売春だったが、イカ天出場を機にそのまま正式なバンド名を近親憎悪に変更した[30]。また、同年5月20日に出場したトゥーリアは「格好と歌詞を番組サイドで変えられてしまいました」と番組中で明かしている[31]

1990年4月以降、一度出場したバンドの再チャレンジが増えた。その中には4代目キングのイエロー太陽Sや仮キングだったパニック・イン・ザ・ズゥもいた(パニック・イン・ザ・ズゥにいたっては再チャレンジで5週勝ち抜き、グランドイカ天キングの座を射止めた)。また、同じくこの4月以降にはソロ(一人)で出場する人も出て来ている。

同じく1990年11月には、当時上京間もないGLAYが出場していた。登場時の自己PRは「うちら函館ロックの台風の目になりたいと思ってやってきた。ハードばかりがロックじゃないぜ。名づけて優しさロックでキングを狙う」だった。バンド結成時からの自信作『無限のdeja vu』を披露するも2分40秒でワイプとなり、完奏ならず。審査員から「真面目すぎてもう少し毒があった方がよい」、「ギター一本で始まるなどアイデアはあるんだけど、落差がない」と言われたものの「曲は悪くないので頑張ってください」と激賞された。

三代目グランドイカ天キングとなったたまの三週目(1989年11月25日)には深夜番組としては驚異的な瞬間最高7.9%(午前1時23分頃)という視聴率も記録している。これは番組の最高視聴率でもある(この日の平均視聴率は5.5%)[3]

1989年夏頃に午後の全国ネットワイドショー(一部地域を除く)『3時にあいましょう』でイカ天ブームを放送。ジャーナリストの鳥井守幸が取材。冒頭で司会の岡部達が「ご年配の方は番組を間違えられたかと思いますが、今若者の間でアマチュアバンドというのが大変なブームになっているということで、鳥井さんに取材してもらいました」とコメントしていた。

放送休止

1989年
10月28日はこの日の昼、13:00 - 16:00の枠で中継された日本シリーズ近鉄-巨人戦が16時36分まで中継延長となり、すぐ後の16:00 - 17:30の枠で放送予定だった「'89ニチレイインターナショナルゴルフ」がこのイカ天の枠に差し替えられて放送されたため、生放送直前になって放送休止となった。しかし出場予定のバンドらがすでにスタジオに集まっており中には地方から来ていた者もいたため収録を行い、翌週11月4日に放送した。この日は生放送でなかったため、在宅審査員の投票及び在宅審査員賞の授与は無かった[32]

※不祥事による放送休止は次節を参照。
不祥事
ヒステリックス脱衣騒動
1989年2月11日の第1回放送時にエントリーナンバー8番で登場した女性バンド“ヒステリックス”ボーカルのリーダーが、「ワイプ」に怒ってカメラの前に飛び出し、「ズボン脱ぐぞコラー!」と生放送中にもかかわらずジーンズを下着ごと脱いだ[33](赤ランプ3つで逆上し、4つ点いた事がコールされると同時にした)。スタジオは一時騒然となったが、TV画面は急遽、三宅の顔のアップに切り替えたために事無きを得た。この騒ぎでADに連行されて退場させられ、“ヒステリックス”の演奏時間は「退場」との記録となった。なお『イカ天年鑑 平成元年編』によると、その問題となったリーダーはこの直後脱退、バンドは活動休止になったとある。これがきっかけで“何かあったらすぐに隠す用”としてIKA禁ボウなるものが一時期使われていた[34]。しかし、この騒動が当時の週刊誌やワイドショーなどで大きく採り上げられたことにより、イカ天の番組の知名度を押し上げてくれたとして、カブキロックス氏神一番は「あの人(ヒステリックスのボーカル)がいなかったら我々はみんな今頃、この世界(音楽界)にいなかった」と、“番組の立役者”だとしている[35]
スタッフの不祥事
この他にも不祥事は記録されている。スタッフに不祥事があった時(1990年3月17日と他1回 麻薬取締法違反)にイカ天を含む「平成名物TV」の全ての番組を休止し、代わりに過去のTBS系スペシャルドラマの再放送(『兜町』『お交際したい』など)に切り替えた(関東地区。その他の地域については不明)。不祥事のあった回の翌週3月24日には番組冒頭プロデューサーの今野多久郎がお詫び、存続か中止かの説明。三宅が楽屋から事件の説明と謝罪を行った[4]
後番組
平成名物TV・三宅裕司のえびぞり巨匠天国「三宅裕司のえびぞり巨匠天国」を参照
星期六我家的電視・三宅裕司の天下御免ね!「星期六我家的電視・三宅裕司の天下御免ね!」を参照
イカ天関連企画

ドラマ

めざせ!イカ天 ロックンOL物語」 (1990年5月12日ドラマチック22」枠で放送)
出演:藤田朋子森川由加里阿部寛奥田圭子豊原功補岸部一徳 他(三宅、相原らイカ天レギュラーも出演)脚本:塩田千種 演出:小川定孝

書籍

「イカ天年鑑 平成元年編」(ワニブックス

ビデオ(オムニバス)「いか天[完全]完奏版」(TBSビデオ・バンドストッククラブ)

CD(オムニバス)

いか天 ザ・50(フィフティ)Vol.1 - 3」(APCA223 - 225)(バンダイ・ミュージックエンタテインメント

「30-35(サンゼロ・サンゴー) Vol.7 「いか天」特集」(MHCL527)(ソニー・ミュージックダイレクト(ソニー・ミュージックエンタテインメント系列))

関連項目

SURF&SNOW (ラジオ番組)

ソニー・マガジンズ - 「GB」「PATi PATi」「WHAT's IN?」はバンドブームをバックアップ、牽引する雑誌となった。

別冊イカ天ベスト天 - 1990年4月からイカ天放送終了後の1991年3月まで、TBS(関東ローカル)で毎週日曜日深夜に放送された番組。バンドの近況や最新音楽情報などを発信していた。


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