三宅裕司のいかすバンド天国
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2018年10月8日東京都足立区西新井「イカ天30周年記念スペシャル『にしあらイカ天』」[23][24]

出演者:氏神一番(カブキロックス)、まゆたん(ex.マサ子さん)、アンダ―テイカ―、THE KIDS、ミンカパノピカ(From大阪)、パニックインザズ―、イエロ―太陽’s、馬の骨(桐生コウジ)、BELLETS、石川浩司(ex.たま)、和嶋慎二(From人間椅子)、宮尾すすむと日本の社長、アキマツネオ(ex.マルコシアスバンプ)、&Rama&Amoeba、和久田理人(ex.スイマ―ズ)、メカエルビス&イカ天オ―ルスタ―ズ、FLYING KIDS、浜崎貴司(ex.FLYING KIDS)、HIRO(remote)。


2019年12月15日東京都足立区西新井「にしあらイカ天クリスマススペシャル」(西新井ギャラクシティ・西新井文化ホール)[25]

出演者:FLYING KIDS、カブキロックス、石川浩司(ex.たま)、宮尾すすむと日本の社長、メカエルビス&イカ天オールスターズ、鴨下信吾(ex.ダイヤモンズ)、まゆたん(ex.マサ子さん)、スイマーズ、渡辺一男(from BELLETS)、フレディ波多江(from GUEEN)、桐明孝侍(from THE KIDS)、ダイナマイトMARI(ex.NORMA JEAN)、浜口祐夢(ex.TOY BOYS)、ONE NIGHT STANDS、イエロー太陽’S、remote+氏神一番(fromカブキロックス)、AURA+坂川正美(ex.ヒステリック・グラマー)、ジューシィ・フルーツ(スペシャルゲストバンド)。


放送時間

毎週日曜(土曜深夜) 0:30 - 3:00

毎週日曜(土曜深夜) 0:40 - 3:00(1990年10月6日から)

放送休止日

1989年7月15日、10月21日、10月28日、12月16日

1990年3月17日、6月23日、7月14日、9月1日、10月13日、12月1日

スペシャルバージョンでの放送(キングVS挑戦者の対戦など無し)

1989年4月1日「春だ!輝けイカ天グラミー賞 全て見せます74バンド」

1989年7月8日「'89年上半期総決算」

1989年10月7日「ネット局増加・ロックが結ぶふるさとの輪」

1990年7月7日「'90年上半期総決算、七夕イベント『イカバタ』」 - ゲスト:
浅野ゆう子

1990年12月29日「最終回特集」

レギュラー放送時間以外で放送された特番

1989年10月21日「イカ天スペシャル・午後ならどうだ!」(16時00分 - 17時30分放送)

1990年4月8日、4月15日、4月22日「オールナイトイカ天・見せます576バンド」(各日、5:00まで放送)

1991年1月2日「イカ天!イカ天!!イカ天!! イカ天年鑑永久保存版」(1:20 - 6:00に放送)

2007年12月30日「あの伝説の番組再び!"イカ天2007復活祭"名物バンド激レア映像今夜限りの大放出SP」(22:00から)

放映局

原則、関東ローカルだったこの番組も、放送開始当初は前番組『SUPER WEEKEND LIVE 土曜深夜族』を放送していた2局がそのままネットを引き継いでスタート、以後番組の人気が上昇するとともにネット局が増えていった。

東京放送(現・TBSテレビ、1989年2月スタート時から)

中部日本放送(現・CBCテレビ、1989年2月スタート時から)

北海道放送(1989年10月から)

テレビユー福島(同上)

信越放送(同上)

静岡放送(同上)

山陽放送(現・RSK山陽放送、同上)

中国放送(同上)

RKB毎日放送(同上)

熊本放送(同上)

宮崎放送(同上)

東北放送(1990年1月から)

テレビユー山形(同上)[注 6]

長崎放送(1990年4月から)

テレビ高知(1990年7月から)

チューリップテレビ(1990年10月から)[注 7]

※なお、2007年12月30日に放送された本番組の特番『イカ天2007復活祭』は全国ネットの枠で放送されたため、上記以外の局でも放送されていた。特に毎日放送はレギュラー放送時代、終了までネット局にならなかったため、関西地方ではこの復活特番が唯一の放送となった(詳しくは板東英二のわがままミッドナイト#番組編成上の影響を参照)。
備考

出場バンドの決定は
ジャクソン井口が行っていた[26]

1989年3月25日放送分までイカ天の前に「お熱いのはお好き?」という、女性ゲストを迎えてゲームなどをするコーナーがあった[27]

ナレーターが登場したのは1989年4月15日放送の回から。それまでは三宅自らが出場バンドの紹介を行っていた[28]

生放送中にニュース速報が流れたこともあり、1989年3月18日には伊藤みどりパリの世界フィギュアスケート選手権で優勝した模様が流れた一方で同年6月3日には天安門事件の映像が流れ、スタジオに緊張感をもたらした。また1989年8月5日には報道スタジオから生で台風情報がこの番組中に入ったが、その時に三宅が「せっかくイカ天に出るんだから、パンクの格好で出てきて欲しかったですね」などとそのキャスターに言っていたことがあった[29]

演奏する予定の曲の歌詞の中に放送禁止用語が含まれていたため止む無く歌詞を変えて演奏したバンドもあったが、中にはバンド名そのものが放送禁止だったため改名を余儀なくされたバンドもあった。1989年7月22日出場の発破ノッカーズの元々のバンド名は乞食王子。同年6月17日に出場した近親憎悪は元々は生理売春だったが、イカ天出場を機にそのまま正式なバンド名を近親憎悪に変更した[30]。また、同年5月20日に出場したトゥーリアは「格好と歌詞を番組サイドで変えられてしまいました」と番組中で明かしている[31]

1990年4月以降、一度出場したバンドの再チャレンジが増えた。その中には4代目キングのイエロー太陽Sや仮キングだったパニック・イン・ザ・ズゥもいた(パニック・イン・ザ・ズゥにいたっては再チャレンジで5週勝ち抜き、グランドイカ天キングの座を射止めた)。また、同じくこの4月以降にはソロ(一人)で出場する人も出て来ている。

同じく1990年11月には、当時上京間もないGLAYが出場していた。登場時の自己PRは「うちら函館ロックの台風の目になりたいと思ってやってきた。ハードばかりがロックじゃないぜ。名づけて優しさロックでキングを狙う」だった。バンド結成時からの自信作『無限のdeja vu』を披露するも2分40秒でワイプとなり、完奏ならず。審査員から「真面目すぎてもう少し毒があった方がよい」、「ギター一本で始まるなどアイデアはあるんだけど、落差がない」と言われたものの「曲は悪くないので頑張ってください」と激賞された。

三代目グランドイカ天キングとなったたまの三週目(1989年11月25日)には深夜番組としては驚異的な瞬間最高7.9%(午前1時23分頃)という視聴率も記録している。これは番組の最高視聴率でもある(この日の平均視聴率は5.5%)[3]

1989年夏頃に午後の全国ネットワイドショー(一部地域を除く)『3時にあいましょう』でイカ天ブームを放送。ジャーナリストの鳥井守幸が取材。冒頭で司会の岡部達が「ご年配の方は番組を間違えられたかと思いますが、今若者の間でアマチュアバンドというのが大変なブームになっているということで、鳥井さんに取材してもらいました」とコメントしていた。

放送休止

1989年
10月28日はこの日の昼、13:00 - 16:00の枠で中継された日本シリーズ近鉄-巨人戦が16時36分まで中継延長となり、すぐ後の16:00 - 17:30の枠で放送予定だった「'89ニチレイインターナショナルゴルフ」がこのイカ天の枠に差し替えられて放送されたため、生放送直前になって放送休止となった。しかし出場予定のバンドらがすでにスタジオに集まっており中には地方から来ていた者もいたため収録を行い、翌週11月4日に放送した。この日は生放送でなかったため、在宅審査員の投票及び在宅審査員賞の授与は無かった[32]

※不祥事による放送休止は次節を参照。
不祥事
ヒステリックス脱衣騒動
1989年2月11日の第1回放送時にエントリーナンバー8番で登場した女性バンド“ヒステリックス”ボーカルのリーダーが、「ワイプ」に怒ってカメラの前に飛び出し、「ズボン脱ぐぞコラー!」と生放送中にもかかわらずジーンズを下着ごと脱いだ[33](赤ランプ3つで逆上し、4つ点いた事がコールされると同時にした)。


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