三宅裕司のいかすバンド天国
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その後、2007年12月30日に「あの伝説の番組再び!イカ天2007復活祭名物バンド激レア映像 今夜限りの大放出スペシャル」と題し、17年ぶりに復活した[1]

「イカ天」が公式な通称であるために「イカすバンド天国」と誤植されることが多いが、「いかす」を平仮名で書くのが正式な表記である。

この番組に出場したバンドの総数は846組であった。
番組概要

毎週土曜深夜に10組(第1回、第2回は12組)のアマチュアバンド[注 1]が登場し、審査員によってチャレンジャー賞バンドが選ばれて前回のイカ天キング(チャンピオン)バンドと対決して勝った方がイカ天キングとなる。5週連続でイカ天キングを防衛したバンドはグランドイカ天キングとなり、メジャーデビューが約束された[要出典][注 2]

だが番組開始当初にはメジャーデビューへの道という話は全くなく、グランドキングになれば48チャンネルのスタジオを借り切って録音ができ、番組でPVを制作してもらえるというだけであった(その後、番組の人気とともにスケールアップしていく)。したがって出場バンドの中にはベンチャーズグループ・サウンズのカバーあるいはプログレッシブ・ロックを演奏するバンドも少なくなく、かつて存在した同様の番組『勝ち抜きエレキ合戦』に出場経験のある中年男性バンドという古強者も登場し、そういうものも含めた学園祭的なにぎやかさも番組制作のねらいの一つであったという(この番組の審査員にベンチャーズ研究家の萩原健太プログレッシブ・ロックの世界で神格化された難波弘之が名前を連ねていた)。[要出典]

番組は当時爆発的な人気を呼び、1989年の新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞を受賞するまでに至った。1990年1月1日には、日本武道館において前日の第31回日本レコード大賞のセットをほぼ流用するような形で「輝く!日本イカ天大賞」が行われた(この放送は翌日1月2日、23時15分 - 25時15分)。[要出典]

番組名称からイカの天ぷらのようなイラストマークが設定され、スタジオバックにも描かれていた。

司会は三宅裕司[注 3]相原勇(後期にはバンドが登場する直前の「次のバンドはこのバンドだいっ!」というフレーズも人気に)、第1回放送時は三宅と出場バンドメンバー全員による「ヘーイ、セーイ」の掛け声で始まり、この時には「略していかバン天」と言っていた。バンド呼び込みなどのナレーション関口伸(1989年4月15日放送分から登場。それ以前は三宅か相原による紹介で行われていた)。プロデューサーは元スペクトラムKUWATA BAND今野多久郎、収録スタジオは日比谷シャンテTBSスタジオ(地下1階。現在は映画館TOHOシネマズシャンテ」に改装された)。三宅主宰のスーパー・エキセントリック・シアターの若手だった岸谷五朗寺脇康文山田幸伸の「SET隊」が「天ぷらトリオ」と名乗って、前説とオープニング出演していた時期もある[3]

しかし、1989年に番組のディレクターが麻薬所持で逮捕。1990年3月にも番組の構成作家大麻所持で逮捕される。同年4月、2年目に突入し審査員が交代して以降は人気が急落し、同年8月 - 9月の頃には視聴率が2 - 3%と降下[4]。その後、バンドブーム熱の降下とともに番組は終了した。新聞報道や番組内の説明ではあくまでも年内休止、かつ充電期間で、TBSの番組宣伝部は「充電期間を置いて、バンドのパワーやブームが回復するのを待ちたい」として1991年以降も出演バンドの募集は続け、1991年からはビデオ版で再開とされていた[5][6][7]

三宅の所属するアミューズが番組制作に携わった[8]
イカ天キング戦

イカ天キングとチャレンジャー賞バンドとの対決で、7人の審査員の多数決で決まる(スタート当初は審査員は5人)。丸(金色)のキングの札(イカ審棒と呼ばれた)が4人以上なら勝ち抜き、四角(焼肉の網を模した形)のチャレンジャーの札が4人以上なら新キング誕生(キングには1週勝ち抜くごとに賞金10万円とローランド社製の楽器(リニアデジタルシンセサイザー・D-20、ギターアンプ・JC-120、デジタルギターサウンドシステム・GS-6、ギターシンセサイザー・GR-50とドライバー・GK-2のセット、ヒューマンリズムコンポーザー・R-8、MIDIパッド・オクタパッドU、以上6アイテムの中からいずれか1つ)がプレゼントされた)。キングとなった週を含め、5週勝ち抜きでグランドイカ天キングとなる。ちなみに1989年7月頃までの札は赤丸(キング)と青丸(チャレンジャー)で色分けされ、中にイカのロゴマークが入っていたものであった。この当時の審査員席は焼肉を焼くホットプレートのような卓の周りを5人が囲んで座るといった体裁であった。

なおキングのグランドキング挑戦の週には強力なチャレンジャーがぶつけられることがセオリーとなっており、FLYING KIDSをあわやというところまで追い詰めたKUSU KUSU(人気投票連続11週1位)、たまマルコシアス・バンプの対決、BEGINNORMA JEANのグランドキングを阻止した際のラッシャー木村の「耐えて燃えろ!」などの名言を生んでいる。
仮イカ天キングとルール

グランドキング誕生の次週はキング不在となる。従ってそのままキング不在で番組は進行、その週のチャレンジャー賞バンドがキングになる。

しかし、初代グランドイカ天キング(FLYING KIDS)が誕生した翌週のパニック・イン・ザ・ズゥは、「キングの実力かどうかの判断が出来ない」ということから、「仮イカ天キング」という措置がとられた。この仮キングの週は勝ち抜き週数にカウントされず賞金もない。次週で勝てば正キングとなり、負ければ仮のままで終わるというもの。

2代目グランドキング(BEGIN)が誕生した翌週のカブキロックスも、「仮イカ天キング」であった。また、3代目グランドキング(たま)誕生の週は、チャレンジャー賞のマルコシアス・バンプを落とすのはあまりにも惜しいということから、審査委員長の萩原健太が「そのまま仮イカ天キングにして残すのはどうか」と提案。三宅はもちろんほかの審査員も異存はなく、満場一致で番組中に決定した。

このほか、番組末期に仮キングとなったGLUは、「仮にするか本当のキングにするか迷いました」と言われており、もう少し評価が高ければキングとの対決を経ずして正キングになった唯一の例となるところであった。イカ天のルールは、この番組らしく臨機応変に変更されていった。
主な賞など

チャレンジャー賞

イカ天キングへの挑戦権獲得、賞品は「焼肉屋ご招待」だった。ただし出場者が総崩れの場合出なかったこともある。1990年
11月17日放送ではチャレンジャー賞が“該当者無し”となり、当時のイカ天キングGLUの信任投票という形となった。


ベストボーカル賞

ベストプレイヤー賞

ベストキャラクター賞

主としてギャグキャラに贈られる。


ベストコンセプト賞

ベストスピリッツ賞

特別審査員賞(ゲスト審査員が選ぶ、同人の名前を冠することが多い)

在宅審査員賞(音楽業界関係者等がFAX等で投票、票数が最も多かったバンドに贈られる)

チャレンジャー賞と他の賞を同時に受賞したバンド、複数の賞を受賞した出場者もいる。
「完奏」と「ワイプ」

審査員席には、赤と青の2つのランプがあり、「もう見たくない」と思った時には赤ランプのスイッチを押す。赤ランプが2つ点灯すると「ワイプ」となり、演奏中の画面が小さくなる(演奏時間の記録も赤ランプが2つ点灯した瞬間までのものとなる。7つ全部赤ランプが点灯すると演奏画面が消える。第2回放送時までは赤ランプ3つで一気に画面が小さくなっていたが、第3回放送からは段階的に縮小する形に変わった)。

3分間ワイプを受けずにいられたら「完奏」(この完奏のイカマークが画面に登場したのは1989年3月4日から)。ただ、ワイプになってももう少し見たいと思った時には青ランプのスイッチを押す。すると演奏中の画面が再びいっぱいに戻るが、完奏扱いにはならなかった(番組初期の頃には審査員の赤ランプよりも権限が強かったという、三宅用の青ランプが存在した。但しこれで復活できるのは5秒だけだった)。

最速ワイプ記録は、九州ASHの14秒[注 4]。登場時にふざけすぎて審査員の反感を買い、演奏前に赤ランプがついてしまったケースもある。またワイプをかわすため、わざと短い曲を作って挑むチャレンジャー(1989年6月17日に1分30秒で完奏したバンド「近親憎悪」)も存在した[9]


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