回数放送日スローガン備考
最終回12月29日もうイカないで… イカ天(仮)最終回(仮)は、○に仮
歴代イカ天キング
初代:SLUT&SLASH BAND(2週勝抜、1989年2月11日 - 18日)
2代目:GEN(1週勝抜、1989年2月25日)
3代目:FLYING KIDS(5週勝抜、初代グランドイカ天キング、1989年3月4日 - 4月8日)
(仮キング:パニック・イン・ザ・ズゥ
※詳しい対戦スコアなどは三宅裕司のいかすバンド天国に出場したバンド#歴代イカ天キングを参照。 1989年3月25日までは審査員5人体制。4月8日放送分から7人体制となった。この番組の審査はたとえば、吉田「とても好きです(中略)ただAメロがあまりにも8分音符が続いてそこをちょっと…」萩原「いや、アレいいですよ」銀次「おれも好きだな」三宅「あ?、いま吉田さん猛ひんしゅくを買いましたね」吉田「いま、とてもあせってしまいました」というやりとり(因にこの言い合いが展開されたバンドは第4代イカ天キングのイエロー太陽sであった)があるように、政治的なかけひきのない厳しいながらも和気藹々としたものであった。 1990年3月まで 1990年4月から 1989年
キング以外の出演バンド詳細は「三宅裕司のいかすバンド天国に出場したバンド」を参照
主な審査員
萩原健太
音楽評論家、審査員長。よく出場者をフォローするコメントを出し『フォローの達人』『イカ天の良心』とも言われる。米米CLUBの海外レコーディングに同行して番組を休んだ時も、自費で自分の人形を作り自分の席に置いていったこともあった。ただ「フォローのしようがない」「こんなバンド完奏させちゃいけない」という発言があるように甘い審査というわけではない。審査員の中では出場バンドの全曲を放送前に見ることを唯一許されていた[20]。
中島啓江
オペラ歌手。美形好きと公言し、美形の男が出てくると眼鏡をかけることもあった。この番組がきっかけでその後、村上“ポンタ”秀一とレコーディングすることになる。
吉田建
ベーシスト、アレンジャー、プロデューサー。冷めたような口調で『何、それ?』『やめてよ』『何でこんなバンド、予選通すの?』などの辛口コメントが多く、一方で『今日は厳しいことを言い過ぎて、すみません』と謝る一面もあった。そうしたキャラクターから一時期女性週刊誌に載るほどの人気となる。特に電子楽器シーケンサー打ち込み系グループを一切認めなかった[注 5]。
伊藤銀次
初期のナイアガラメンバーでもあることから面白好きな一面を番組では見せた。プレイヤー的な視点のコメントでは「建&銀次」というコンビにされることも多かった。
グーフィ森
謎のタクティシャン。舞台の演出家だったり、音楽プロデューサーだったりするらしい。フグの調理師免許を持っており、それをネタに三宅にいじられることも多々あった。現在は福山雅治のプロデューサー。
村上“ポンタ”秀一
ドラマー。吉田建がメインとなっていた『LOSER』(泉谷しげるのコンサートバンド)・『JAZZ MASTER』(沢田研二のコンサートバンド)のドラマーだった関係から出演したと思われる。
湯川れい子
内藤陳
ハードボイルド作家として紹介されていた。
四方義朗
一度だけ三宅の代理で司会を務めたことがある。
ラッシャー木村
プロレスラー。元国際プロレスのエース。マイクパフォーマンスを得意とする。「耐えて燃えろ!」の名言を残す。なお、他の審査員がスタンドマイクであったのに対し、ラッシャーだけはハンドマイクだった。
田中一郎 (審査委員長を務めることが多かった。1990年3月以前にも審査員経験あり。視聴者から『アンパンマン一郎』のイラストが届いたことがあった)
斎藤ノブ(パーカッショニスト。視聴者からのイラスト『おにぎりノブさん』でも話題になる)
鳴瀬喜博(カシオペア)
PANTA
難波弘之(キーボーディスト)
森雪之丞 (作詞家)(視聴者からのイラスト『ウルトラマン之丞』でも話題に。ウルトラマン之丞はキャラクターが立って着ぐるみも作成され、番組末期には冒頭でショートストーリーを演じていた)
相沢行夫(NOBODY)
木原敏雄(NOBODY)
是方博邦(ギタリスト)
主なゲスト審査員
土屋昌巳 (89年2月11日)
大貫憲章 (89年3月18日)
ねじめ正一 (89年4月15日)
町山広美 (89年4月22日)
平山みき (89年5月6日、89年6月3日、89年7月1日)