三宅裕司のいかすバンド天国
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135月13日バンドやってて、お母さんごめんなさいこの日は母の日に因み、「世の中全てカネ??ション!」とカーネーションをばらまく三宅に合わせ、全員が「ハハァ?!の日」と返すパフォーマンスでスタート[14]
145月20日パンク狩り撲滅運動強化月間
155月27日晴れの日には布団をほそう - シド・ヴィシャス -
166月3日髪は染めても歯は白!
176月10日伊東に行くのはハードや! 伊豆イカ漁業組合この時期、伊豆の熱川近辺で群発地震が発生していたため。
186月17日イカ天の父かえる(蛙)ローマ国際ファンタスティック映画祭出席のためイタリアへ渡り、前週番組を休んでいた三宅がこの回より復帰したことから[15]
196月24日畳の上でも遊んでみよう、イカ天ロッカーズ当時の宇野宗佑首相の女性スキャンダルを風刺したスローガン[12]
207月1日7月1日は海開き 溺れた時は拳をあげよう!
217月22日Punkの一票が日本を変える1989年7月23日執行の第15回参議院議員通常選挙を意識したスローガン[11]
227月29日花火のそばで火を吹くのはやめよう
238月5日故郷に錦ヘビブーツを飾ろう!この日のために、実際に「蛇の頭を付けたブーツ」を製作。この後、このブーツは番組オフィシャルショップ「IKA-TEN SHOP」に飾られていた[16]
248月12日お盆だ、御先祖様とハモろう!
258月19日泣くな球児よ 次は焼肉をめざせ!(いか天高くフライをあげよう)
268月26日残暑ザンショ 夏はサルサ
279月2日九月だ! 新学期だ! イカ天は秋がきてもアキがこないかな?
289月9日ブルースは鳴かせるぜ
299月16日紅葉の秋! 髪は真赤なもみじおろし
309月23日ロックも芝居もシャウトのしすぎに注意しよう青山劇場でのスーパー・エキセントリック・シアターでの公演において、三宅が声が出なくなりダウンし、この日番組を休んだことから[17]
319月30日この季節、いか天コロモがエエ!翌10月からネット局が増加することから[18]
3210月14日この季節イカ天はコロモがええー!
3311月4日外タレに負けるなイカ天ここにあり!!
3411月11日イロものバンド撲滅キャンペーン実施中カブキとかサザエボン(サイバーニュウニュウの絵)と言った「イロもの」と言われたバンドが番組を席巻していたことから(番組内でのSET隊の発言より)。
仮キング、挑戦者どちらも色物、結果たまが勝利するという皮肉な展開になった[19]
3511月18日楽器ひいてもカゼひくな!
3611月25日火の用心!! イエーッともえても家燃すな!
3712月2日もういくつ寝ると武道館
3812月9日朝まで生バンド! 忘年会カラオケ撲滅運動展開中
3912月23日クリスマス☆パンクがママにキスをした!
4012月30日除夜の鐘、パーカッションをなめるなよ!

1990年

回数放送日スローガン備考
最終回12月29日もうイカないで… イカ天(仮)最終回(仮)は、○に仮

歴代イカ天キング

初代:
SLUT&SLASH BAND(2週勝抜、1989年2月11日 - 18日)

2代目:GEN(1週勝抜、1989年2月25日)

3代目:FLYING KIDS(5週勝抜、初代グランドイカ天キング、1989年3月4日 - 4月8日)

(仮キング:パニック・イン・ザ・ズゥ、1989年4月15日)

4代目:イエロー太陽s(1週勝抜、1989年4月22日)

5代目:RABBIT(3週勝抜、1989年4月29日 - 5月13日)

6代目:JITTERIN'JINN(1週勝抜、1989年5月20日)

7代目:セメントミキサーズ(3週勝抜、1989年5月27日 - 6月10日)

8代目:突撃ダンスホール(1週勝抜、1989年6月17日)

9代目:ダイヤモンズ(1週勝抜、1989年6月24日)

10代目:宮尾すすむと日本の社長(3週勝抜、1989年7月1日 - 29日)

11代目:NORMA JEAN(4週勝抜、1989年8月5日 - 26日)

12代目:BEGIN(5週勝抜、2代目グランドイカ天キング、1989年9月2日 - 30日)

(仮キング:カブキロックス、1989年10月14日)

13代目:サイバーニュウニュウ(1週勝抜、1989年11月4日)

14代目:たま(5週勝抜、3代目グランドイカ天キング、1989年11月11日 - 12月9日)

15代目:マルコシアス・バンプ(仮キング→5週勝抜、4代目グランドイカ天キング、1989年12月9日 - 1990年1月20日)

16代目:Stone Crazy(仮キング→2週勝抜、1990年1月27日 - 2月10日、ブルース系のグループ)

17代目:THE BOOTS(4週勝抜、1990年2月17日 - 3月10日、ファンク系バンド)

18代目:RAMBLE-FISH(3週勝抜、1990年3月24日 - 4月7日。キング在位中に審査員の交替があった)

19代目:LITTLE CREATURES(5週勝抜、5代目グランドイカ天キング、1990年4月14日 - 5月12日)

20代目:SOLID BOND(仮キング→1週勝抜、1990年5月12日 - 19日)

21代目:LANPA(4週勝抜、1990年5月26日 - 6月16日)

:(※SOLID BOND辞退のため、チャレンジャー賞がそのままキングとなる異例の措置)

22代目:悪名エレキショー(1週勝抜、1990年6月30日、大阪出身。同郷のLANPAを倒してキングとなる)

23代目:ジョリーロジャー(1週勝抜、1990年7月14日)

24代目:COLLAGE(1週勝抜、1990年7月28日、プログレ風のグループ)

25代目:BLANKEY JET CITY(5週勝抜、6代目グランドイカ天キング、1990年8月4日 - 9月8日)

(仮キング:P-MACHINE、1990年9月15日)

26代目:PANIC IN THE ZU:(5週勝抜、7代目グランドイカ天キング、1990年9月22日 - 10月27日)

:(※パニック・イン・ザ・ズゥ から改名)

27代目:GLU(仮キング→4週勝抜、1990年11月3日 - 12月8日)

28代目:EDITION DELUXE(1990年12月15日 - 22日)

※詳しい対戦スコアなどは三宅裕司のいかすバンド天国に出場したバンド#歴代イカ天キングを参照。
キング以外の出演バンド詳細は「三宅裕司のいかすバンド天国に出場したバンド」を参照
主な審査員

1989年3月25日までは審査員5人体制。4月8日放送分から7人体制となった。この番組の審査はたとえば、吉田「とても好きです(中略)ただAメロがあまりにも8分音符が続いてそこをちょっと…」萩原「いや、アレいいですよ」銀次「おれも好きだな」三宅「あ?、いま吉田さん猛ひんしゅくを買いましたね」吉田「いま、とてもあせってしまいました」というやりとり(因にこの言い合いが展開されたバンドは第4代イカ天キングのイエロー太陽sであった)があるように、政治的なかけひきのない厳しいながらも和気藹々としたものであった。

1990年3月まで

萩原健太
音楽評論家、審査員長。よく出場者をフォローするコメントを出し『フォローの達人』『イカ天の良心』とも言われる。米米CLUBの海外レコーディングに同行して番組を休んだ時も、自費で自分の人形を作り自分の席に置いていったこともあった。ただ「フォローのしようがない」「こんなバンド完奏させちゃいけない」という発言があるように甘い審査というわけではない。審査員の中では出場バンドの全曲を放送前に見ることを唯一許されていた[20]

中島啓江
オペラ歌手。美形好きと公言し、美形の男が出てくると眼鏡をかけることもあった。この番組がきっかけでその後、村上“ポンタ”秀一とレコーディングすることになる。

吉田建
ベーシスト、アレンジャー、プロデューサー。冷めたような口調で『何、それ?』『やめてよ』『何でこんなバンド、予選通すの?』などの辛口コメントが多く、一方で『今日は厳しいことを言い過ぎて、すみません』と謝る一面もあった。そうしたキャラクターから一時期女性週刊誌に載るほどの人気となる。特に電子楽器シーケンサー打ち込み系グループを一切認めなかった[注 5]

伊藤銀次
初期のナイアガラメンバーでもあることから面白好きな一面を番組では見せた。プレイヤー的な視点のコメントでは「建&銀次」というコンビにされることも多かった。

グーフィ森
謎のタクティシャン。舞台の演出家だったり、音楽プロデューサーだったりするらしい。フグの調理師免許を持っており、それをネタに三宅にいじられることも多々あった。現在は福山雅治のプロデューサー。

村上“ポンタ”秀一
ドラマー。吉田建がメインとなっていた『LOSER』(泉谷しげるのコンサートバンド)・『JAZZ MASTER』(沢田研二のコンサートバンド)のドラマーだった関係から出演したと思われる。


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